あるゲーマーからの手紙

食う 寝る 遊ぶ、にんげんのぜんぶ

悲劇のままで、終わらせない『Kanon』

 ノベルゲームは果たしてゲームなのか、そう聞かれたら何とも答えに窮するところだが、主人公の視点に立って物語を見届けるという意味ではRPGに似ていると言えなくもない。事実、ノベルゲームがプレイヤーを獲得し、見る者に「もっと続きを見たい」と思わせるには魅力的な主人公の存在がRPG以上に不可欠であるように思える。

 強烈なキャラクターのヒロインが売りのいわゆる「ギャルゲー」の分野においても、主人公に魅力がなければせっかく作り込んだヒロインも「どうでもいい主人公のどうでもいい彼女」にしかならず、物語に感情移入することは難しい。主人公の男っぷりが悪ければそれとくっつくヒロインの格も自然と落ち、引いては物語そのものの魅力も損なわれるのである。

 そんなこんなを考えつつ、今回はそんなギャルゲーの世界で一世を風靡したブランド、Keyが放った90年代の伝説的作品、『Kanon』の魅力について語っていこう。

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<作品紹介>

 舞台は冬の雪国、単身赴任で両親が長く家を空けるということで、いとこの名雪の家でしばらく暮らすことになった主人公祐一。以前は休みに合わせてよく遊びに来ていた街だったが、いつしか疎遠になっていき、気づけば7年の月日が流れていた。

 祐一は7年ぶりに再開した名雪やその母秋子さんに温かく迎えられ、昔なじみの街で新たな生活を始める。新しい学校では名雪と同じクラスになり、クラスメートともそれなりに打ち解けて厳しい寒さの他には何不自由のない毎日を送っていた。

 だが、彼は忘れていた。なぜ自分がこの街を訪れなくなったのかを。そして7年前の自らの行いが今のこの街のあるべき姿をほんの少し変えてしまったことを・・・

 

 

 というのが本作の概要である。

本作には主に6人のヒロインがいて、基本的にはそれぞれ独立したヒロインたちのエピソードを読み解いていくのが本作の目的である。プレイヤーの選んだ選択肢によってストーリーが変化し、全6通りのエンディングを見ればクリアとなる。

 祐一のいとこで陸上部のエースの名雪

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翼の生えた鞄と赤いカチューシャがトレードマークのあゆ、

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記憶を失い、祐一に恨みを持つ謎の少女真琴、

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病気が理由で学校に通えていないが、なぜか時折学校の中庭に現れる少女栞、

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夜の学校で謎の怪物と戦う少女舞、

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人付き合いの苦手な舞の無二の親友で優等生の佐祐理、

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エンディングが用意されているのは以上の6名である。

祐一は7年前のことをほとんど憶えていないが、実は栞と佐祐理以外の4人は7年前にすでに祐一と会っている。即ち彼女らのエピソードは同時に祐一自身のエピソードでもあり、攻略が進むにつれて主人公のキャラクターが掘り下げられるようにできている。

 そして本作のストーリーを彩る最大の特徴は、現代日本を舞台にした若者の恋物語をベースに人知を超えた超常現象が随所に散りばめられている点にある。

 

 

<現代を舞台としたファンタジー>

  Kanonの世界では時に科学で説明できない不思議な出来事が起こる。幽霊超能力者化け狐などがその例であるが、本作ではそれらの成り立ちについて詳しく描写されることはない。

 むしろそれらの怪異は祐一を日常の世界から引きずり出すための舞台装置であるといえよう。大切なのは怪異そのものではなく、それに対する登場人物の反応、それに呼応した人間関係の変化なのである。

 

 ネタバレを恐れずに例を挙げるならば、舞が戦っている夜の学校に潜む化け物の正体は、実は舞の話を最後までプレイしてもはっきりとはわからない。しかし、そのことが不満だというプレイヤーには今のところ出会ったことがないし、むしろそれはプレイヤーの想像に任せられた部分として肯定的に受け止められている。

 言い方を変えれば、化け物の正体がなんであろうと祐一と舞の人間関係にはあまり影響がないのである。これは舞の話に限ったことではなく、本作に度々登場する超常現象は最後までその全貌が明かされることはない。

 そのせいか中には「これは一歩間違えればホラーなのでは」と思わせるシーンも散見されるが、本作のジャンルはあくまでファンタジーである。その一歩を踏み外さぬよう絶妙にバランスをとっているのが、他でもない主人公の祐一なのである。

 

 

<愛し、愛される主人公>

 先に言っておくと、祐一にはこれといって不思議な力などはない。身体的なスペックはごく平均的な若者のそれであるし、ニュータイプ的な特殊な精神感応力もない。

 では祐一の長所とは一体何なのか。いろいろと考えたが一言でいえば「退かない」ことではないかと思う。物語の中で彼は何度も困難にぶつかり、時にどうしていいかわからないデリケートな問題にも立ち向かう事になるが、どんな状況の中でも彼はヒロインらのことを第一に考え、行動する。そしてそんな彼の態度はどんな言葉よりもストレートに彼のヒロインに対する愛情をプレイヤーに印象づけるのである。

 

 これは陳腐なようでなかなかに得がたいことである。世の中に恋愛アドベンチャーを名乗る作品は多々あるが、そのほとんどにおいて主人公はあくまでプレイヤーが自己を投影するための依り代、いわば真っ白な紙のような存在として扱われている。フィクションの世界に読み手が感情移入しやすいようにするために、あえて個性の弱い主人公を立てることで万人受けを狙った結果であろうが、むしろそれが裏目に出てこのジャンルのガラパゴス化に拍車をかけているといえよう。

 没個性的な主人公は確かに初見の読み手にとって物語に没入するための口当たりのよい無難な窓口となってくれるだろう。しかし、それは最初のうちだけで、物語が展開するに従って主人公の個性のなさはむしろ邪魔になる

 なぜなら主人公の個性、即ち何を感じ、何を信じ、何を思うのか、そういったデータが読み手に与えられていないままに物語が進行し、そのせいでいざという時の主人公のいかなる選択にも根拠を見いだせなくなるからである。

 

 この手の主人公は決定力に欠け、必然的に周囲のキャラクター、このジャンルの場合はヒロインに主導権が渡るが、それはあくまで消去法の結果であり、当然ながらそのヒロインが特別魅力的なわけではない。結果として無味無臭に過ぎてあっという間に飽きられた主人公大して魅力も無いのに話の主導権を握ったまま離さないヒロインによる誰も望んでいない物語が展開してしまう、といった悲しい事例がこのジャンルにはあふれている。実際、ある作品のメディア展開の際に余りにも魅力がなさすぎていなかったことにされた主人公までいるくらいである。こんな主人公ならいない方がマシだと思い切って切り捨てた製作会社はむしろ有能だったといえよう。

 

 話をKanonに戻すが、祐一はそんな恋愛アドベンチャー業界に一石を投じた主人公であるといえる。ヒロインたちの物語は同時に祐一の物語であり、読み進めていけばいくほど作中の様々なシーンに説得力が生まれ、直接的な繋がりはない個々の物語を有機的に接合して作品全体の評価を上げる。この構造こそが本作の最も画期的な発明なのかもしれない。

 

 

<大胆なアニメ化>

 Kanonには製作会社が違う二つのアニメ版が存在する。

製作時期も異なるため好みは分かれるが、どちらも短い尺の中で精一杯原作の魅力を表現した作品として一定の評価を得ている。

 アニメ版はなんと一人の祐一に1クールないしは2クールの間に全てのヒロインを救わせるという大胆な作りになっており、原作を未プレイの人間には美しい要約を、プレイ済みの人間には新鮮な刺激を提供してくれる。これは一見無茶なスケジュールのように思えるが、先述した本作の物語の有機的な繋がりを思い出せば、むしろ当然の選択ともいえる。一見バラバラに思える各ヒロインのエピソードは祐一という一貫した個性を通して繋がっていることがアニメ版を見ると理解できると思う。

 興味はあるが原作を全編プレイするのは面倒、という人にも、昔やったけどストーリーを忘れてしまった、という人にもお勧めである。時を経てなお新鮮な恋愛アドベンチャーの傑作は必ずや見る者に新たな発見をもたらすことだろう。

なぜベストを尽くしたのか『Kingsglaive Final Fantasy XV』

 FF15はとても他人に勧められるような出来ではなかったが、例え本編に手をつけなくともこれだけは見て欲しいというのが今回紹介する作品、映画『Kingsglaive FF15』である。

 

 筆者は本作を鑑賞する前の予習として、既存のFFシリーズの映画化作品『Final Fantasy』(2001)と『FF7:Advent Children』を見ておいたのだが、個人的にはそれらと比較しても本作の出来はNo.1といっていいと思う。

 FF15というシリーズの問題児の序章にしては贅沢すぎる本作の魅力について早速語っていこう。

 

 

<作品紹介>

 いつかの時代、どこかの世界に二つの大きな国があった。魔法を使う王家とその力に守られた臣下の率いるルシス王国と科学の力で強大な軍事力を手にした二フルハイム帝国。彼らは長らく敵対し、戦争状態が続いていた。

シ骸」と呼ばれるモンスターを使役することで圧倒的な火力と物量を得た帝国軍の猛攻により、戦況は帝国側に大きく傾いた。

 この事態に対処すべく、ルシス王レギスは「王の剣」と名付けられた特殊部隊を編成する。国内各地から呼び寄せられた若者たちに魔法の力を分け与え、兵士として戦場へ送り出したが、帝国側の有利は依然変わらず、戦いの激しさは増す一方であった。

 

 そんな中、帝国軍側から停戦が提案される。単身で王都インソムニアまでやってきた帝国軍宰相アーデンは王の御前で停戦に当たっての二つの条件を提示してきた。「インソムニアを除く全ルシス領を二フルハイム帝国の統治下に置くこと」、「ルシス王子ノクティスとテネブラエ王女ルナフレーナの婚姻」がその内容であった。

 

 一方その頃、王の剣の一員であるニックスは同郷の戦友であるリベルトを救うために上官命令を無視した罪を問われ、街のゲートの警備に回されて前線を退いていた。地上には巨大な城壁、上空には「魔法障壁」と呼ばれる巨大なバリアで守られた王都インソムニアは平和そのもので、王の剣としての命がけの戦いの日々が嘘のように思えた。

 

 しかし、彼がそんな一時の平和を享受している間にも事態は動いていた。ルシスの首脳陣は検討の末に帝国側の示した条件を受け入れ、すぐにも停戦協定が結ばれることとなった。

 壁の外から来た移民で構成される王の剣の面々は当然これを受け入れなかった。彼らの必死の戦いはひとえに自らの故郷を帝国に渡さないためのものであり、今まで散々自分たちをこき使っておきながら壁の内側が無事ならいいと言わんばかりの決定はニックスやリベルト、同じく同郷のクロウらにとって余りに残酷なものだった。

 

 戦争は終わり、王の剣は用済みになるかに思えたが、停戦協定の調印式を前にクロウに新たな任務が与えられる。その内容はルナフレーナの護衛としてテネブラエに迎えというものだった。

 ニックスとリベルトに見送られてクロウは一人テネブラエへと向かうが、その道中何者かがクロウを襲う。後日、変わり果てた姿になって戻ってきたクロウを前にリベルトは涙を流す。

 大切な仲間を失ったことでリベルトはニックスとは違う道を歩むことを決意する。

これからは俺のやり方で戦う」、そう言い残したリベルトは王の剣の紋章を破り捨て、王都へと消えていった。

 

 クロウの身に何が起きたのか、王の剣を抜けたリベルトの向かう先とは、そしてニックスやリベルト、生き残った王の剣全てを巻き込んだ更なる戦いの全貌とは・・・

 

 

 ・・・というのが本作の概要である。

 本作は冒頭の12分だけ無料公開されており、youtubeなどで見ることができるが、最初の戦闘シーンを見ただけでも過去二作とは一線を画する出来であることがわかる。

 王から授かった魔法の力で戦う王の剣の人間離れした能力を描きながら、それをもってしても抑えきれない帝国軍の圧倒的な物量を美しいCGで見事に表現している。ちなみにこのシーンで登場したミサイルを大量に射出するシ骸の名はダイヤウェポンといって、FF7に登場した同名のモンスターのオマージュとなっている。

 

 迫力のある戦闘シーンと過去作のオマージュはこの映画の大きな見所ではあるが、何よりも特筆すべきは登場人物たちの生々しい人物像にある。例えば移民で構成された王の剣は王の直属でありながら、軍人としての国家や王家への忠誠心などはあまりなく、各々の故郷が帝国の脅威にさらされていると思えばこそ結束しているに過ぎない比較的脆い集団として描かれているのが印象的である。

 主人公のニックスやリベルトも故郷とそこに住む人々を思えばこそ戦ってこれたのであり、停戦協定の報せとクロウの死をきっかけに二人が決別するシーンに王の剣の組織としての脆弱さが現れている。そしてそんな危うい人間関係の中にこそ彼らの人としての強さや真の絆が強調されるのである。

 

 実際この映画はルシス、テネブラエ、二フルハイムの三国に加えて、ルシスの反政府勢力や国をまたいで暗躍するスパイ、王の剣の裏切り者、ルシス王に恨みを持つルナフレーナの兄レイヴスなど様々な集団や個人が各々の思惑の元に行動するので、一回見ただけでは全てを把握しきれないかもしれない

 しかしながら、つぶさに眺めていくとそれら一つ一つに痛々しいほどの人間くささが詰まっていることがわかる。クロウを失い、守るべき故郷をも帝国に明け渡されようとしている中でリベルトがルシス王家に果たすべき義理など最早何もないし、家族を見殺しにされたレイヴスがレギスに恨みを持つのも誰が責められよう。

 そういった細かいキャラクター描写を見る度に再発見できるのがこの映画の最大の楽しみではないかと筆者は思う。

 

 

<本作最大の弱点>

 映像面、脚本面共に見所たっぷりで優秀な本作であるが、避けては通れない難点というか弱点があることは認めなければならない。そう、それはFF15』の前日譚であるという事実である。

 

 主人公ニックスがルナフレーナやレギスの意図を今ひとつ理解できずに苛立つ一方で、彼らの人としての誠実さに惹かれ、その意志を新たな守るべきものと認識していく過程が見所の一つである本作だが、続編のFF15本編のストーリーは到底その意志を継承しているようには見えない。詳しくは本ブログのFF15本編の記事を見てほしい。

 

 さらに筆者が戸惑いを隠せなかったのは、FF15ダウンロードコンテンツとして配信されたシナリオの中で本作の主要キャラであるリベルトが登場したことである。

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 追加シナリオでの設定によると、彼は各地からの義勇兵をまとめて王の剣を再編し、力のあるものの責任として暗闇に閉ざされた世界の民を助けているとのことである。さらにストーリーを進めていくと、ノクティスが真の王として覚醒するまでの10年間、彼ら新生王の剣が迫り来るシ骸からノクティスを守っていたとのことらしい。

 

 このシナリオはKingsglaiveFF15双方の設定を大きく無視した内容であることをここに強調しておこう。

王の剣の持つ力は指輪をはめたルシス王から与えられたもので、指輪をはめたノクティスはこの時クリスタルの中で眠っているので彼ら新生王の剣が力を与えられることはあり得ない。また、Kingsglaiveの中でリベルトはテロリストとして指名手配されており、とても新たな王の剣として人々を率いるような立場にはない。また、一度は王家を裏切り反政府勢力に加担した彼が突然ノクティスへの忠誠心に目覚めるのも違和感がある。

 

 このように、FF15の販促の一環として作られた本作であるが、肝心のFF15本編が全く本作の方を向いていないというのがこの映画の最大の難点といえる。

従って、この映画を鑑賞する上で必要なことはただ一つ、「完結編は今もって作られていない」と思うことである。エンディングの後に例の四バカが少しだけ登場するが、彼らが何者かということはあまり考えない方がいいかもしれない。

 

 どうしても気になるなら本ブログの記事を読んでからプレイを検討して欲しい。

問題児ほど愛おしい『FF15』

 FF7リメイクがおおむね好評なようで私は安心した。

開発に時間がかかったゲームというのはその分クオリティが上がるということはほとんどなく、実際にはその期間のほとんどを内輪もめに費やしているなどということがざらにある昨今、FF7リメイクはいい意味で反例となってくれたようである。

 そもそもリメイクというカテゴリー自体、自称古参ファンによるネガキャンや思い出補正による過小評価の対象になりやすく成功しにくいというのも事実であり、それらの影響を受けてなお好評というのは注目すべき成果であろう。

 

 しかしながらFF7リメイクの成功を感じれば感じるほどに、私の胸の奥に刺さった小さなトゲのようなものが鋭い痛みによってその存在を主張するのはなぜであろう。

 今回私が語るに至ったのはまさにその痛み故なのである。

そのトゲの名は『FF15』。発売前には販促用の映画まで上映され、世間の注目を集めるだけ集め衆目の中で爆死したシリーズ最大の問題作である。

 

<作品紹介>

 FF15が作られた経緯については少々複雑であるのでひとまず省略する。

気になる人は『FF15 ヴェルサス13』とでも検索してみるといい。ここで紹介するよりわかりやすい記事がどこかにあるだろう。

 

 ということで早速冒頭から内容を追っていこう。

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 ルシス王国の王子ノクティスは隣国テネブラエの姫であり幼なじみのルナフレーナとの婚約が決まり、三人の護衛と共にルシスの首都インソムニアから結婚式の開かれるオルティシエへと旅立つ。

ノクティスにとって三人は気心知れた友人でもあった。

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ノクティスを幼い頃から見守ってきたしっかり者のイグニス、王室親衛隊「王の盾」の一員であり頼れる兄貴分グラディオラス、庶民の生まれながら護衛に抜擢されたムードメーカープロンプト。一行は未来の王として結婚という大きな一歩を踏み出すノクティスと共に、青春時代の終わりを見送るような気持ちで旅を楽しんでいた。

 

 ところがそんな一行に衝撃的な報せが届く。

一行が旅に出た直後、かねてよりルシス王国と戦争状態にあった二フルハイム帝国との停戦協定が帝国側から提案され、王都インソムニアにて調印式が行われた。

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その式の最中、皇帝イドラとその臣下が突如武力攻撃、ルシス王の魔法力の源であるクリスタルが彼らの手に落ちた。インソムニアを守っていた巨大バリア「第二魔法障壁」がこれにより崩壊、飛空挺によって空から続々と二フルハイム軍の戦力が投入されていき、インソムニアは帝国によって占領されてしまう。

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 ノクティスの父であるルシス王レギスと軍の抵抗もむなしく、レギスは戦死、首都機能は崩壊し大量の難民が流出、クリスタルは飛空挺に載せられていずこかへと運び込まれてしまった。

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 報せを聞いた一行は急ぎインソムニアへと引き返すが、そこにはおびただしい数の帝国の魔道兵とそれらに占領された変わり果てた故郷の姿があるのみであった。明るい未来を目指す楽しい旅が一転、全てを失った悲しみと絶望が支配する流浪の旅へと変わった。

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 しかし、ノクティスには涙を流す時間すらも与えられてはいなかった。

ノクティスらと同様にインソムニアを離れていたコル将軍と合流した一行は、彼から歴代ルシス王が振るったという伝説の宝剣「ファントムソード」のことを知らされる。帝国と戦うためには一刻も早く12の王の墓所に封印されたファントムソードを集め、真の王としての力を得なければならないという。

 真の王となる使命を与えられたノクティスに立ち止まることは許されない。果たしてノクティスは真の王となり、父の、王国の仇たる二フルハイム帝国を打倒することができるのか。そしてクリスタルを奪った皇帝イドラの真の目的とは・・・

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 以上がFF15のストーリーの概要である。

話の趣旨を理解したところで今作の問題作たるゆえんを一つずつ紐解いてゆこう。

 

 

<かみ合わない二つの軸>

 主人公ノクティスに与えられた目的は主に二つ、ファントムソードの回収とルナフレーナがレギスから託された光耀の指輪の回収である。前者は前述の通り帝国との戦いに向けての戦力増強という意味があるが、後者の事情は少々複雑である。

 

 光耀の指輪に関する話はFF15の発売に先駆けて発表された映画『Kingsglaive FF15』で主に扱われている。作中での描写を見るに、光耀の指輪とはクリスタルとルシスの王を繋ぎ、王に力を与える指輪であるらしい。

 さらに指輪には歴代のルシス王の魂が封印されており、はめた者にその資格があるかどうかをチェックする機能もあるらしい。ちなみにルナフレーナの兄レイヴスが指輪をつけたことで彼の腕が炎上するというシーンがあり、資格のないものはただでは済まされないようだ。

 レギスは映画の中で「世界のため、未来のため」と言って命がけで指輪をルナフレーナに託し、移民の兵士ニックスはそんなレギスの必死の願いを受けて意志を継ぎ、彼自身の命をも賭して指輪を持ったルナフレーナを逃がした。

全ては未来の王ノクティスに希望をつなぐため。ノクティスに新たなルシス王となってもらい、人々を明るい未来へと導いてもらうため。名もなき兵士ニックスは笑って命を差し出した。

 

 というような非常に重たいいきさつを持つ光耀の指輪であるが、FF15本編での出番はかなり少ない上に、そのわずかな出番さえも作り込まれているとは言えないできになっている。

 

 まず第一に、指輪を持ったルナフレーナがなかなか本編に登場しない

本来なら一刻も早くノクティスと合流して託された指輪を渡すべきなのだが、本編のルナフレーナには指輪の他にもう一つ果たすべきややこしい使命がある。

 六神と呼ばれる六柱の神とノクティスを契約させるというのがその内容であり、そのためにルナフレーナはノクティスの行く先に先回りして六神それぞれとアポイントをとって回っているのである。

 

 ちなみにKingsglaiveに六神は一切登場しない。なので事前に映画を視聴済みのコアなファンほど、このルナフレーナの奇行には首をかしげることだろう。単独で移動するルナフレーナが死にものぐるいで指輪を探す帝国軍に見つかるリスクを避けたいのならば、無闇に移動せずどこかに身を隠してノクティスと合流すればいい。六神へのアプローチはそれからでも遅くはないだろう。

 さらにルナフレーナは度々アンブラという犬に手紙を持たせてノクティスと連絡を取り合っている。そんな連絡手段があるのなら早いところ居場所を教えて合流した方が明らかに安全であるが、なぜかルナフレーナは断固としてノクティスの先を行く

 

 ようやくルナフレーナの出番が来るのは本編の中盤、元々の目的地であったオルティシエに着いてからである。オルティシエには六神の一角であるリヴァイアサンが眠っており、ルナフレーナは例によってノクティスより先に現地入りしてリヴァイアサンとの交渉に臨んでいた。

 リヴァイアサンは六神の中でも特に気性が荒く、ノクティスに課した試練も自身との直接対決という脳筋っぷりであるが、その力は強大で戦いは必然的にオルティシエ全域を巻き込んだ激しいものとなった。

 加えて帝国軍はノクティスの前に現れる六神を捕獲ないしは討伐しようと動いていて、オルティシエにも軍勢を向かわせていた。

即ちオルティシエははた迷惑な神と王家のせいで突然自分たちの街をめちゃくちゃにされた上に帝国軍の脅威にもさらされるという踏んだり蹴ったりな状況に陥る。

 

 罪のない市民が大勢犠牲になり本来なら胸が痛むところではあるが、プレイヤーとしては正直そんなことに構ってられなくなるほどの大事件がこの混乱の中起こってしまう。

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 リヴァイアサンとノクティスの戦いの最中、混乱に乗じて帝国軍の宰相アーデンがルナフレーナの元へと近づく。直接指輪を奪いに来たのかと思いきや、おもむろに短剣をを取り出し、

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指輪は無視してルナフレーナを刺殺

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指輪を無視してアーデンはそのまま退場。

ルナフレーナは最期の力を振り絞り、

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王の墓所からファントムソードを召喚

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その力を受けて覚醒したノクティスはすさまじいパワーでリヴァイアサンを圧倒、

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見事試練に打ち勝ち、ちょうどいい具合にルナフレーナの側に落下。

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一旦生き返ったルナフレーナは何やら意味深なことをノクティスにつぶやき、

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彼の夢に現れて最期の別れを済ませ、

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今度こそ絶命

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 さて、ここまで話についてきてくれた人はもう大方わかっているだろうが一連のシーンには大きな問題がある。

 まずルナフレーナがファントムソードを召喚できるのなら一体今までのファントムソード集めの旅は何だったのか。そんなことができるならますますもってさっさと合流した方がよかったのではなかろうか

 そしてアーデンは指輪を無視してなぜかルナフレーナに襲いかかったが、その後指輪はあっさりとノクティスの元に渡っている。私が帝国軍の責任者だったらこの時点でアーデンを即クビにする。

 ちなみにアーデンには帝国軍人としての役割の他に個人的な目的があり、そのためにノクティスに六神の試練を突破してもらわなければならないのだが、先述の通りルナフレーナは六神とノクティスをつなぐ存在であり、ここで彼女に死なれて困るのはむしろアーデンの方である。指輪の件をどう言い訳したか知らないがこの点は明らかなるストーリーの矛盾である。

 出てきた途端にヒロインが殺されるという時点で十分にひんしゅくを買う展開であるのに、その上どうして殺されたのかわからないばかりか、今までの旅の意義自体を否定しかねない話の構成に多くのプレイヤーがあっけにとられたのは想像に難くない。

 

 このように、FF15の脚本は自ら設定した主人公の目的をないがしろにするというRPGにあるまじき態度で書かれているばかりか、事前に映画まで作って印象づけたヒロインの人生を一時の盛り上がりのために切って捨てたりと、最早エンターテイメントとして自殺願望があるのではないかと思わせる内容となっている。

 そもそもファントムソード集めは直近の帝国軍との戦いに備えて始めたことであり、六神との契約はノクティスを「真の王」にして世界の危機と戦うためのものである。

即ちこの二つの目的は全くの別件であり、本来ならば帝国との戦いの中でよりマクロなスケールの危機、「世界の危機」とやらの存在が判明し、帝国との戦いを終えてないしは中断してそれへの対処をするのが順序というものである。

 帝国との戦いの決着が全くついていないのに無理矢理ルナフレーナに話の進行を任せ、さらには弁解の余地すら与えずに口封じのように物語から退場させてしまった。その結果生まれた矛盾だらけのキャラクターと筋の通らない脚本がこの後もFF15という作品を蹂躙することとなる。

 

 

<とってつけたような悲劇、パーツが足りない本筋>

 その後、ノクティスら一行はリヴァイアサン戦の後なぜか再び各墓所へと散ってしまったファントムソードを再回収すべく旅を再開した。

 ところが、オルティシエでの激しい戦いの中で仲間の一人であるイグニスが失明するという事件が人知れず画面外で起こっていた。当然ながらイグニスは戦闘では戦力外、日常生活にも多大な支障があり、旅を続けられそうもないほどのダメージを負ってしまう。

 ルナフレーナを失ったことで心に大きな傷を負ったノクティスであったが、それはそれとして体に大きな傷を負ってしまったイグニスにどんな言葉をかけていいものか、一行のまとう空気は何とも気まずいものとなっていった。

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 責任は感じてもどうしていいかわからないノクティス、平静を装いつつも戸惑いと不安を隠せないイグニス、いつものように軽口を叩くこともできずにそわそわするプロンプト。未だかつて無いほど陰鬱な雰囲気の三人に合流したのは頼れる兄貴分グラディオラスだった。

 

 ところが、彼が次の瞬間放った一言に全国のプレイヤーは凍り付いた。

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           「おまえ 何様だよ」

 

 以下、完全無編集で一行のやりとりを記述する。

 

                ノ「あ?」

           グ「テネブラエには寄らねえぞ」

          グ「いい加減 切り替えらんねえのか」

          ノ「切り替えたから乗ってんだろうが」

          グ「切り替えたヤツが 今いちばん大変なあいつに

            声のひとつもかけらんねえのか」

                ノ「放せよ」

            グ「指輪はどうした?

              大事に持って歩くだけか?」

           グ「命と引き換えに届けられたもんを

            眺めてるだけで責任が果たせんのか」

            ノ「んなこと わかってんだよ」

            グ「わかってねえ

              イグニスはなんのために傷を負った」

            イ「やめろ グラディオ」

         グ「どこの世界にこんなだらしねえ王様がいる」

                ノ「てめぇ」

              プ「やめなよ―――」

           ノ「全部わかってんだよ 全部」

          グ「だったら腹くくれ この大バカ野郎」

 

 謎の喧嘩腰で話を切り出し公共の場でノクティスを怒鳴りつけるグラディオラス。

まさかこの気まずい膠着状態をこういう手段で打ち崩すとは思わなかったが、この発言には一理あるなという部分と到底受け入れられない部分が混在している。

 というのも、アーデンの意図するところは今のところ不明ではあるが、指輪は無事ノクティスの元に届けられたのであるから、彼にはそれをはめてルシス王としての力を得ることが求められる。

 ところがノクティスはファントムソード探しは続けてはいるものの、未だ指輪をはめることができずにいる。父親の死に続きルナフレーナまでもが命を落とし、精神に傷を負った今のノクティスには指輪の力が恐ろしく思えても仕方がないかもしれないが、いずれは果たさなければならない責任を自覚させるというのは必要なことかもしれない。

 だからといって王子様に向かってその護衛が「何様だよ」はないだろうし、当のイグニスの目の前で彼を引き合いに出してノクティスのふがいなさを問い詰めるというのはイグニスに対してもノクティスに対してもよいこととは思えない。

「全部わかってんだよ」とノクティスは言ったが、わかってはいても進み出ることができないノクティスを励まし背中を押してやるのが大人というもので、「大バカ野郎」と直情的にののしるのはグラディオラスに求めるキャラクターではないように思える。

 

 しかし残念なことに、グラディオラスはその後もねちねちとしつこくノクティスに嫌みを言い続ける。ここまで来ると先ほど「一理ある」と擁護した部分さえも、個人的な鬱憤晴らしの口実のように思えてしまう。

 

 プレイヤーのグラディオラスに対するヘイトがたまっていく一方で、アーデンの策略によりプロンプトが行方不明になったり(普通ならストーリーのメインミッションになりそうなプロンプトの救出だが、なぜか一行はテネブラエに急ぎ、その後本筋のついでのように救出される)、割と序盤からいた不思議キャラのゲンティアナの正体が実は六神の一角シヴァであることが判明したり(なぜかそれとは別にシヴァの死体なるものが登場するがあまり気にしなくともよいようだ)、極めつけには二フルハイム帝国はすでに魔物の手に落ちて壊滅していたりと、ルナフレーナの急死を皮切りに前半の冗長さは一体何だったのかというくらいに展開を詰め込み出す。

 

 ちなみにルナフレーナの兄のレイヴスや皇帝イドラといったKingsglaiveから出ている本作の敵役は上のような怒濤の展開の合間に魔物化して襲いかかってきた挙げ句、問答無用でボコボコにされてそのまま死んでしまうので、彼らの真意は最後まで不明なままである。

 それから件の指輪についてだが、これまたアーデンの策略によって得意の武器召喚の魔法が使えなくなってしまったノクティスが自衛のために仕方なく流れではめる

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 武器もなしに敵陣のど真ん中で孤立してしまったノクティスがおっかなびっくり指輪をはめるシーンを初めて見たとき、筆者は余りの情けなさと同情で画面から目を離してしまった。その指輪をつけるということは父王や婚約者の死を乗り越えたことを意味するはずであり、主人公の成長と決意の表れになるはずだったものがまたもや場当たり的な脚本の餌食となってしまった。

 Kingsglaiveの主人公ニックスは王族ではなかったがレギスの推薦とそのまっすぐな意志を買われて一夜限りの力を指輪から受け取り、王都防衛の最終兵器「第一魔法障壁(魔法の力で自在に動かせる巨大ゴーレム)」を操って帝国軍と戦ったが、何もノクティスに同じ事をしろとは言わない。言わないがこの脚本は本当に主人公を活躍させる気があるのか、もしかして作った人は単にノクティスが嫌いなのではないかとすら思える。

 

 このように、本作は割かしどうでもいいグラディオラスの嫌がらせをねちねち丁寧に描写する一方で、プロンプトの救出はあっさりサブクエスト扱いにしたり、仇の二フルハイム帝国がいつの間にか滅んでいたり、指輪をはめるという大事なイベントを何のドラマもなく消費したりと明らかにメインストーリーを構成するパーツが何者かによって亡き者とされているのである。

 

 ここまでで十分に本作のストーリーが穴だらけなことは理解してもらえたかと思うが、それでも私はこのゲームをただの駄作として切り捨てる気になれないのもまた事実である。そうでなければそもそも時間をかけて記事を書いたりしない。今まで散々悪いところを紹介したが、今度は切り口を変えて本作のいいところについて語っていこう。

 

 

<主人公らの魅力>

 本作はその悲劇的なメインストーリーとは裏腹に、主人公らのキャラクターは極めて喜劇的なテイストに仕上がっている。世間知らずでぶっきらぼうだが根は優しいノクティスを初め、主人公ら四人の若者にはいわゆる「愛すべきバカ」としての素質があり、そのことは悪態をつきながらエンストした車を四人で押すという最初のシーンで強く印象づけられている。BGMにはかの名曲「Stand by me」 が流され、さながらロードムービーのようである。

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 実際、本作は四人の若者の旅を描いた作品として部分的には高く評価されており、今までのFFシリーズにはなかった主人公らのキャラクターが光る部分は多分にある。

 王子の一行のくせに金欠で、車の修理代のために四人で野獣退治のバイトをする場面などは予想外のノリに筆者も笑ってしまった。その他にも基本的に彼らの収入源はやっかいなモンスター退治やアイテム集めの依頼を達成することで得た報酬金であり、プレイしていると貧乏な大学生が路銀を稼ぎながら仲良し四人組で旅をしている感覚になってくる。

 また、プロンプトの趣味は写真であり、旅の道中で記念撮影を行ったり、何気ない日常のワンシーンをスナップ写真に収めてくれる。気に入った写真を選んで保存することもできるが、この機能がますます観光旅行のような雰囲気を演出し、キャラクターの性格も相まって良くも悪くもとても亡国の王子とその護衛一行とは思えない。

 

 その他にもノクティスは釣りが趣味なので各地の釣り場で大物を狙ったり、釣り専用のサブクエスまで存在する。主人公としてより釣り人として成長していくノクティスの姿には一見の価値があるかもしれない。

 食事は基本的にイグニスが作っているが、ときどきイグニスを手伝ってノクティスが朝食の準備をするイベントが発生したりと、およそ本作の悲劇的な本筋に見合わないアットホームなサブイベントがやたらと充実している。

 前日譚であるKingsglaiveの作風とは合わないが、いっそのこと喜劇として作り込めばもっと多くの人に支持されていたかもしれない。私個人の感想としてはそもそも彼らに悲劇は似合わない

 ところが彼らの愉快なパーソナリティとは関係なく、本筋の悲劇は容赦なく彼らに襲いかかる。そしてそれこそが本作の評価をわける最大のポイントとなる。

 

 

<残酷すぎる使命、足りなすぎる尺>

 タイタン、ラムウリヴァイアサン、シヴァ(?)と契約を済ませたノクティスはついに帝国がインソムニアから盗み出したクリスタルに辿り着く。

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 間近で見るクリスタルは予想外に禍々しく、人を寄せ付けない不気味な光を放っていた。ノクティスが帝都にあふれた魔物に抗する力を求めて手を触れた瞬間、クリスタルは逆にノクティスの腕を掴み、ゆっくりと彼を引っ張り込もうとする。

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 予想外の反応に動揺するノクティスの前に宰相アーデンが現れ、彼の本当の名と真の目的を明かす。簡単に言うと、彼はかつてこの世界を襲った寄生虫病から人々を守るために自らの体を依り代として寄生虫を一手に引き受けるというデモンズソウルじみたまねをして後の初代ルシス王に殺された元王族で、真の王として覚醒したノクティスを打ち負かすことでルシス王家に復讐しようとするノクティスの遠い親戚であるということらしい。忘れるまで覚えておこう。

 

 まんまとクリスタルの中に引きずり込まれてしまったノクティスは謎空間の中でスタンバっていた六神の一柱、バハムートと出会う。そこでバハムートの口から「真の王」とは何か、「星の危機」とは何かを告げられる。

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 要約すると、星の危機とは先ほどアーデンが言っていた寄生虫が再びやってきて、手当たり次第に生き物を魔物化させる世紀末がやってくるから、それに備えて今からノクティスにはクリスタルの中で10年かけてじっくりと力を蓄えて星の危機に対抗できる力を持った「真の王」として覚醒してもらう。なお、真の王の力を使うとノクティスは死んでしまうがそれは仕様なので諦めろ、とのことである。

 

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 ・・・ノクティスは何か言いたげだが、バハムートの圧迫面接を前に今更嫌だとは言えない。

 

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・・・もうほとんど泣きそうな顔をしているが、今更やめるとも言えない空気である。

 

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 人ごとだと思ってしつこく死ぬ死ぬ言うバハムートに言い返すこともできないまま、ノクティスは強制的に10年の眠りにつかされる。

 

               そして 10年後・・・

 

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 目覚めたノクティスの前には暗い雲が常にかかって夜のように暗い大地に魔物が跋扈する一言でいうならドラクエ3アレフガルドのような世界が広がっていた。

 

 10年経ってすっかり老け込んだノクティスは幸いにも早々に仲間と合流することができ、(眠っていたノクトの体感的にはどの程度だか謎だが)10年という時を埋め合わせるように一行は互いの話をした。

 

 その後、いまや帝国の魔道兵すらいなくなり魔物のパラダイスと化したインソムニア攻略や、一人だけ省かれた上に神様のくせにうっかり寄生虫に感染してしまい魔物と化したイフリート戦などがあるのだが、プレイヤーにとって最も大きな懸念であるノクティスの末路についてはついぞノータッチのままシナリオは進む。

 そして普通にアーデンとの最終決戦となり、

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普通にノクティスは真の王の力を使い、

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普通にアーデンは死んでノクティスは普通に帰らぬ人となった。

 

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 そのとき、闇に覆われていた世界に光が差し、ノクティスは・・・

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亡きルナフレーナと共に思い出の写真を眺め、二人で眠りについたのだった・・・

 

                   完  

 

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 省きすぎだろ、とお思いの方もいるだろうが、決して説明が面倒くさいからではなく初プレイの時の気持ちになって印象の通り正直に記事にしたらこのようになった。

 

 そう、後半から非常にでこぼこと歪なストーリーを展開した本作、実は最終版は逆にあり得ないほど平坦なシナリオなのである。全てはバハムートの言った通りに滞りなく事が運び、ノクティスやその仲間たちは一切の抵抗の余地なくしかれたレールの上を走りきって終わり、それが本作の結末なのである。

 ちなみにノクティスはエンディングの描写を見るに無事死亡したようだが、仲間の三人は最後に彼をかばって大量の魔物との戦いに望むシーン以降登場しないので生死不明であることをここに添えておこう。せめて彼らが生き残り、ノクティスの分までこれからのルシスを守っていこう、というような初代うたわれるもの的後日談が入れば救いもあろうというものだが。

 

 いや、それ以前にノクティスにもっと自分の運命を受け入れるための時間的余裕とモチベーションがあればこの話はもっと後味の良い爽やかな仕上がりにもなったであろうに、事前に守るべき家族も恋人も失わせた挙げ句、運命の瞬間ぎりぎり直前まで強制的に眠らされたノクティスに自分の命を犠牲にしてでも世界を守りたいという意欲が湧いてくるはずもない。

 結果としていわれなき運命に抗う術もなく流されていくノクティスと終始何もしてやれないまま親友を見殺しにする三人(生死不明)という「Stand by me」から始まった物語とは思えない残酷な結末となってしまった。

 

 発売当時、本作の以上のようなストーリーについて盛んに議論が交わされた。

その中にはプレイ時間の短さを引き合いに出して「キャラクターに感情移入できるほどプレイしていないからつまらなく感じるんだ」などと主張する者もいた。

 だが私はそうは思わない

むしろこのストーリーはキャラクターに入れ込んでいればいるほど許せない内容であると私は思う。あれほど生き生きとしていた四バカがストーリーを通して見る影もなく消耗し、最後には線香花火のように跡形もなく消えてしまった。

 こんなストーリーをよしとする人間がキャラクターを愛しているわけがない。

開発チームがどんな心境でこの作品を世に送り出したか知らないが、少なくともストーリーに関しては盲人であったか、見て見ぬ振りをして発売したに違いない。

 

 

<ゲームシステムについて>

 さらに付け加えるならば、ストーリーを抜きにして単純にRPGとしても見ても本作は大味な印象がある。武器の種類ごとにアクションを細かく作り込んだのはいいが、結局のところ押すのは決定ボタンだけで武器ごとの使用感はほとんど変わらない。そのせいか新しいファントムソードを手に入れても強くなったという実感が湧きにくく、プレイする意欲に繋がらない。

 

 一応経験値を積んでアビリティを獲得するというシリーズ従来のシステムを搭載してはいるが、基礎ステータスのアップや戦闘に直接関わらないフィールド効果の拡張などが多く、肝心のアクションに関わる部分がゲームを通してほとんど進化せず、終始単調な仕上がりといえよう。

 

 フォローする点があるとすれば、マップシフトとシフトブレイクという戦闘の目玉システムについてはおおむね成功していたと思う。マップシフトでMPを回復しつつ敵から距離をとり、すかさずシフトブレイクで一気に距離を詰めて敵までの距離に比例したダメージを与えるというこの流れについては「これを繰り返すだけで簡単に勝ててつまらない」という意見がある一方、「フィールドを広く使えて爽快」という意見もある。

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 確かに慣れてしまえばなんてことはない仕掛けかもしれないが、これがあるのとないのとではゲームとしての緩急に明らかなる違いがある。嘘だと思うなら『クライシスコアFF7』をやってみるといい

 

 

<まとめ>

 まだまだ扱いきれていないところがたくさんあるが、気づけばずいぶん長い記事になってしまったのでぼちぼちまとめることにしよう。

 FF15は今なら中古で安く買うことができ、そういう意味では勧めやすい作品ではあるのだが、特にFFシリーズを余りやったことがないとか、そもそもゲーム自体そんなにやらないという人によりにもよってこのゲームを掴ませるのは気が引ける。

ある程度ゲームに慣れていて、拙い部分も含めて受け入れられる懐の深い人物なら適応できるかもしれないが、そうするとまず間違いなく終盤でがっかりするか悲しむことになるので、あまりおすすめできない。

 

 筆者はこのゲームを友人のすすめに従ってKingsglaiveのブルーレイ同梱版で買ったのだが、映画のブルーレイのおまけでついてきたゲームと考えればさほど損をしたように感じなかった。

なので結論としては、

   「まず映画の方をレンタルで見てどうしても気になるなら中古で買おう

 

 Kingsglaiveのスタッフさん、今からでもいいから本編をなかったことにして続編の映画を作ってください。