あるゲーマーからの手紙

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悲劇のままで、終わらせない『Kanon』

 ノベルゲームは果たしてゲームなのか、そう聞かれたら何とも答えに窮するところだが、主人公の視点に立って物語を見届けるという意味ではRPGに似ていると言えなくもない。事実、ノベルゲームがプレイヤーを獲得し、見る者に「もっと続きを見たい」と思わせるには魅力的な主人公の存在がRPG以上に不可欠であるように思える。

 強烈なキャラクターのヒロインが売りのいわゆる「ギャルゲー」の分野においても、主人公に魅力がなければせっかく作り込んだヒロインも「どうでもいい主人公のどうでもいい彼女」にしかならず、物語に感情移入することは難しい。主人公の男っぷりが悪ければそれとくっつくヒロインの格も自然と落ち、引いては物語そのものの魅力も損なわれるのである。

 そんなこんなを考えつつ、今回はそんなギャルゲーの世界で一世を風靡したブランド、Keyが放った90年代の伝説的作品、『Kanon』の魅力について語っていこう。

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<作品紹介>

 舞台は冬の雪国、単身赴任で両親が長く家を空けるということで、いとこの名雪の家でしばらく暮らすことになった主人公祐一。以前は休みに合わせてよく遊びに来ていた街だったが、いつしか疎遠になっていき、気づけば7年の月日が流れていた。

 祐一は7年ぶりに再開した名雪やその母秋子さんに温かく迎えられ、昔なじみの街で新たな生活を始める。新しい学校では名雪と同じクラスになり、クラスメートともそれなりに打ち解けて厳しい寒さの他には何不自由のない毎日を送っていた。

 だが、彼は忘れていた。なぜ自分がこの街を訪れなくなったのかを。そして7年前の自らの行いが今のこの街のあるべき姿をほんの少し変えてしまったことを・・・

 

 

 というのが本作の概要である。

本作には主に6人のヒロインがいて、基本的にはそれぞれ独立したヒロインたちのエピソードを読み解いていくのが本作の目的である。プレイヤーの選んだ選択肢によってストーリーが変化し、全6通りのエンディングを見ればクリアとなる。

 祐一のいとこで陸上部のエースの名雪

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翼の生えた鞄と赤いカチューシャがトレードマークのあゆ、

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記憶を失い、祐一に恨みを持つ謎の少女真琴、

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病気が理由で学校に通えていないが、なぜか時折学校の中庭に現れる少女栞、

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夜の学校で謎の怪物と戦う少女舞、

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人付き合いの苦手な舞の無二の親友で優等生の佐祐理、

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エンディングが用意されているのは以上の6名である。

祐一は7年前のことをほとんど憶えていないが、実は栞と佐祐理以外の4人は7年前にすでに祐一と会っている。即ち彼女らのエピソードは同時に祐一自身のエピソードでもあり、攻略が進むにつれて主人公のキャラクターが掘り下げられるようにできている。

 そして本作のストーリーを彩る最大の特徴は、現代日本を舞台にした若者の恋物語をベースに人知を超えた超常現象が随所に散りばめられている点にある。

 

 

<現代を舞台としたファンタジー>

  Kanonの世界では時に科学で説明できない不思議な出来事が起こる。幽霊超能力者化け狐などがその例であるが、本作ではそれらの成り立ちについて詳しく描写されることはない。

 むしろそれらの怪異は祐一を日常の世界から引きずり出すための舞台装置であるといえよう。大切なのは怪異そのものではなく、それに対する登場人物の反応、それに呼応した人間関係の変化なのである。

 

 ネタバレを恐れずに例を挙げるならば、舞が戦っている夜の学校に潜む化け物の正体は、実は舞の話を最後までプレイしてもはっきりとはわからない。しかし、そのことが不満だというプレイヤーには今のところ出会ったことがないし、むしろそれはプレイヤーの想像に任せられた部分として肯定的に受け止められている。

 言い方を変えれば、化け物の正体がなんであろうと祐一と舞の人間関係にはあまり影響がないのである。これは舞の話に限ったことではなく、本作に度々登場する超常現象は最後までその全貌が明かされることはない。

 そのせいか中には「これは一歩間違えればホラーなのでは」と思わせるシーンも散見されるが、本作のジャンルはあくまでファンタジーである。その一歩を踏み外さぬよう絶妙にバランスをとっているのが、他でもない主人公の祐一なのである。

 

 

<愛し、愛される主人公>

 先に言っておくと、祐一にはこれといって不思議な力などはない。身体的なスペックはごく平均的な若者のそれであるし、ニュータイプ的な特殊な精神感応力もない。

 では祐一の長所とは一体何なのか。いろいろと考えたが一言でいえば「退かない」ことではないかと思う。物語の中で彼は何度も困難にぶつかり、時にどうしていいかわからないデリケートな問題にも立ち向かう事になるが、どんな状況の中でも彼はヒロインらのことを第一に考え、行動する。そしてそんな彼の態度はどんな言葉よりもストレートに彼のヒロインに対する愛情をプレイヤーに印象づけるのである。

 

 これは陳腐なようでなかなかに得がたいことである。世の中に恋愛アドベンチャーを名乗る作品は多々あるが、そのほとんどにおいて主人公はあくまでプレイヤーが自己を投影するための依り代、いわば真っ白な紙のような存在として扱われている。フィクションの世界に読み手が感情移入しやすいようにするために、あえて個性の弱い主人公を立てることで万人受けを狙った結果であろうが、むしろそれが裏目に出てこのジャンルのガラパゴス化に拍車をかけているといえよう。

 没個性的な主人公は確かに初見の読み手にとって物語に没入するための口当たりのよい無難な窓口となってくれるだろう。しかし、それは最初のうちだけで、物語が展開するに従って主人公の個性のなさはむしろ邪魔になる

 なぜなら主人公の個性、即ち何を感じ、何を信じ、何を思うのか、そういったデータが読み手に与えられていないままに物語が進行し、そのせいでいざという時の主人公のいかなる選択にも根拠を見いだせなくなるからである。

 

 この手の主人公は決定力に欠け、必然的に周囲のキャラクター、このジャンルの場合はヒロインに主導権が渡るが、それはあくまで消去法の結果であり、当然ながらそのヒロインが特別魅力的なわけではない。結果として無味無臭に過ぎてあっという間に飽きられた主人公大して魅力も無いのに話の主導権を握ったまま離さないヒロインによる誰も望んでいない物語が展開してしまう、といった悲しい事例がこのジャンルにはあふれている。実際、ある作品のメディア展開の際に余りにも魅力がなさすぎていなかったことにされた主人公までいるくらいである。こんな主人公ならいない方がマシだと思い切って切り捨てた製作会社はむしろ有能だったといえよう。

 

 話をKanonに戻すが、祐一はそんな恋愛アドベンチャー業界に一石を投じた主人公であるといえる。ヒロインたちの物語は同時に祐一の物語であり、読み進めていけばいくほど作中の様々なシーンに説得力が生まれ、直接的な繋がりはない個々の物語を有機的に接合して作品全体の評価を上げる。この構造こそが本作の最も画期的な発明なのかもしれない。

 

 

<大胆なアニメ化>

 Kanonには製作会社が違う二つのアニメ版が存在する。

製作時期も異なるため好みは分かれるが、どちらも短い尺の中で精一杯原作の魅力を表現した作品として一定の評価を得ている。

 アニメ版はなんと一人の祐一に1クールないしは2クールの間に全てのヒロインを救わせるという大胆な作りになっており、原作を未プレイの人間には美しい要約を、プレイ済みの人間には新鮮な刺激を提供してくれる。これは一見無茶なスケジュールのように思えるが、先述した本作の物語の有機的な繋がりを思い出せば、むしろ当然の選択ともいえる。一見バラバラに思える各ヒロインのエピソードは祐一という一貫した個性を通して繋がっていることがアニメ版を見ると理解できると思う。

 興味はあるが原作を全編プレイするのは面倒、という人にも、昔やったけどストーリーを忘れてしまった、という人にもお勧めである。時を経てなお新鮮な恋愛アドベンチャーの傑作は必ずや見る者に新たな発見をもたらすことだろう。