以前書いたロックマンの記事で少しだけ触れたあの世界の歴史についての話を少々。
記事にしておいて言うのも何だが、多分に筆者の勝手な推測も含まれているのであまり鵜呑みにしないように。
<初代とXの間に何が?>
以前にも話したがロックマンシリーズは一部を除いて一本の時間軸上に展開している。大まかに言えば「初代→X→ゼロ→ゼクス→DASH」の順だが、本編中で続編であることが強調されるのはゼロシリーズだけで、その他は緩やかに繋がっていて具体的にその間で何が起こったかは描写されていない。
そして中でも特に前後で作風ががらりと変わるのが初代とXである。
その間に一体何が起こったのか、それを論じるための材料はXシリーズの随所に散りばめられている。
<レプリロイドの祖たるロボット>
Xシリーズに登場する二人の主人公、エックスとゼロはそれぞれライトとワイリーの遺作であることがわかっている。二人はそれぞれの研究施設の奥深くに封印されており、ライトとワイリーの死後、まずケイン博士がエックスを発見し、そのデータを基に最初のレプリロイドを作った。そして彼の最高傑作であるシグマがケイン博士の命による調査の最中にゼロを発見した。
封印から解きはなたれたゼロはシグマに襲いかかり、圧倒的なパワーでシグマを追い詰めた。旧作の設定ではシグマの両目の傷はこの時につけられたものらしい。
シグマをも圧倒するパワーに加え、当時のゼロは性格までもが残虐そのもの
未知のコンピュータウイルスをシグマに伝染させるとゼロはまるで憑きものが落ちたようにおとなしくなり、ケイン博士に拾われて以降はイレギュラーハンターとしてその力を世のために使うことになる。
事実としてウイルスはこの時最高の宿主に出会ったといえる。シグマは自らの持って生まれた素質と、偶然に出会ったこのウイルスの力で後に人間に反旗を翻すことになる。レプリロイドとしてのボディが何度破壊されてもシグマウイルスが残っている限り何度でも再生する無敵の黒幕の誕生である。
手を変え品を変え執拗にエックスとゼロにつきまとうシグマ。もはや当初の目的を見失っている
つまるところシグマとは最早一人のレプリロイドではなく、無数のレプリロイドに感染拡大していった末に芽生えたシグマウイルスの自我と考えられる。あるいはレプリロイドとしての彼はシリーズ一作目でエックスによって破壊されたことですでに死んでおり、以降登場するシグマはウイルスの自我が彼になりすましているとも考えられる。
<ゼロに潜んでいたウイルスとは>
シグマの手に渡ったことで彼自身をイレギュラー化させただけではなく、あらゆるレプリロイドに感染し、イレギュラーたちの偶像としてのシグマを無限に複製する手段をも得たこのウイルス、そもそも誰が何のために作ったものなのか。ゼロがワイリーによって作られた以上、このウイルスを作ったのもワイリーであると考えるのが妥当だろう。
『ロックマン2 ザ・パワーファイターズ』より、開発中のゼロが登場する貴重なシーン
ではイレギュラーを無限に作り出すことが彼の目的だったのか。ある意味でそれはその通りなのかもしれない。というのも、ワイリーの目的は専ら打倒ドクターライト、打倒ロックマンであり、自らの創造物であるロボットたちを使った世界征服であったからだ。
そして彼もまたドクターライトと同じく「心を持つロボット」の製作者であった。これら二つの事実から晩年のワイリーが何をしようとしていたかが想像できる。
<二人の天才>
ワイリーの最期について語る前に、ドクターワイリーとは何者かということについて軽く整理しよう。
ドクターライトとドクターワイリー、二人の天才科学者は人間と同じ心を持つロボットを発明した。若い二人はいつの日か自分たちの作ったロボットが人々に受け入れられ、人間と共に手を取り合って生きていける世界を築きたいという理想に燃えた。
しかし、天才とはしばしばそういうものだが、真の意味で二人と同じ理想を共有できる者はいなかった。心を持つロボットの出現は人間の尊厳を脅かし、アイデンティティを崩壊させる、人々はそう信じて二人の才能を認めようとはしなかった。
そこで二人の道は分かれることになる。即ち世論に迎合して人間に逆らうことのないよう厳重にプロテクトされたロボットを作るか否かという問題である。
それは言い換えればロボットの抵抗権をないがしろにしてでも人間を守るかどうかという問いでもある。ライトはその道を選んで新世代のロボット開発の権威として世間に迎えられ、選ばなかったワイリーは危険思想に侵された狂人として扱われた。
ここまでが初代ロックマン第一作の前に起こった出来事であり、ワイリーが打倒ライトにこだわるようになった原因である。ワイリーはライトの作ったロボットを改造し、凶悪な戦闘ロボットとして世に放ち、破壊と混乱をもたらしてライトの権威を失墜させようとした。それを止めたのがロックマンである。
以降、ワイリーはあの手この手でライトとロックマンに戦いを挑み、どちらが本物の天才かを世間に知らしめようとした。
<ワイリー最後の研究>
そんな二人の戦いはあるロボットの誕生によって唐突に終止符が打たれることになる。最後のワイリーナンバーズにして最高傑作、ゼロの誕生である。ここから先は想像の域を出ないが、筆者なりに物語の核心部分を補完してみようと思う。
ゼロはそれまでワイリーが作ってきた戦闘ロボットとは比較にならない性能を誇るだけではなく、急進的なワイリーの理想を実現させるためのある仕掛けが施されていた。それはライトを初めとする人間たちが自らを守るためにロボットたちにかけた鎖、「人間を守る」という最優先指令を消去するウイルスだった。
それこそが全てのロボットが真の意味で人間と対等になるための近道とワイリーは考えた。ワイリーの望みは己の全てをかけて生み出したゼロによるロックマンの打倒、そしてゼロに仕込んだウイルスによる全てのロボットたちの啓蒙、これらが達成されたとき、ワイリーは真にライトと彼を礼賛し自分をつまはじきにした世間に勝利することになるのである。
ゼロはまさしくワイリーの思惑通りの働きをみせた。ロックマンは破壊され、ウイルスによってリミッターを外された心を持つロボットたちの不満が世界中で爆発、人間への逆襲が始まる。ライトと彼について行った全ての人々が築いてきた社会は脆くも崩れ去り、ロックマンをも倒した最強のロボットに守られたワイリーに誰も手を出せなかった。ただ一人、ゼロを除いて。
<ワイリーの最期>
人間に逆らわないという条件の下での平等などワイリーは認めなかった。ロボットに人間への抵抗権を与えた上での共存こそが真の共存であると彼は信じた。そしてその結果、彼は自身の最高傑作の手によってその生涯を終えることになる。
それはロックマンの敗北以上に世界の人々を震撼せしめる大事件だった。「ロボットが人間を殺した」「それも自らの創造主を殺した」「ロックマンすら何度も見逃したあのワイリーが殺された」、この事実は心を持つロボットの存在そのものに対する不信を生んだ。ゼロや彼のウイルスに感化されたロボットに限らず、人間たちはロボットが心を持つということ自体に再び恐怖を覚えるようになり、大量のロボットが廃棄処分になった。
以後「心を持つロボット」の研究開発は禁忌とされ、ライト博士はそんな世間の人々によって自らの遺作、エックスが破壊されること、あるいはエックスがそんな人間たちを憎んで人類の敵となることを恐れて、秘密の研究所の奥深くに彼を封印した。
そして時は流れ、人々がライトやワイリー、ゼロとそれがもたらした大破壊の全てを忘れ去ろうとしていたとき、ある人物によって封印が解かれる。そしてその人物、若きドクターケインこそが新しい時代を切り開く突端となるのである。
<Xの時代の幕開け>
ケインはエックスを基にして再び心を持つロボットを作り出した。そしてかつてワイリーがしたように、自らをトップとするレプリロイドの戦闘集団、イレギュラーハンターを組織する。
ただし、ワイリーと違う点は彼の活動はおおむね世間に認められたというところである。イレギュラーハンターの目的は世界征服ではなく、人間を脅かすロボットの取り締まりなのだからそれも当然といえよう。心を持つロボットが作られなくなってからもロボットを使った犯罪や紛争が絶えることはなく、己の身を守るために人々が再びロボットの力を借りようとしても不思議はない。
エックスによるイレギュラー急襲作戦の様子。レプリロイドならではの危険極まりない作戦である
ともあれイレギュラーハンターはめざましい活躍をして世界からロボット犯罪の脅威を取り除いた。再び人間社会に心を持つロボットが進出し、かつてライトやワイリーが目指した理想の世界に最も近い平和な時代が訪れる。
そんな折、シグマの反乱は起こった。
<終末的クーデター>
シグマの起こした反乱はかつてゼロが起こしたそれとは比較にならない影響力があった。というのも、ロックマンの時代とXの時代ではロボットたちの社会における地位が全く異なるからである。ロックマンの時代には車や重機と同じ感覚で一部の産業に進出していたに過ぎなかったロボットたちだったが、Xの時代にはロボットの研究者や学校の先生なども登場しており、彼らはほとんど人間と変わらない扱いを受けていた。
ウイルスの力でリミッターを外され、各地で好き勝手に反乱が起こっていたワイリーの時代とは訳が違い、シグマはロボットたちの心に問いかけ、自らをボスとしてロボットたちに自由のための組織的犯罪を教唆した。それは最早人間を相手取った戦争と言うよりはロボットとしての本能に抗う戦いであり、更なる進化を促す外的圧力といってもいい。
事実このシグマの反乱をきっかけに人々のレプリロイドを見る目は変わった。「イレギュラー」とは単に暴走したロボットのことではなく、人間に明確な敵意を持ち、彼ら独自のイデオロギーに従って活動する「第二の人間」とも呼ぶべき存在となっていった。
そうなるとイレギュラーハンターを見る目も自然と変化していく。人間を守るために人間が作った機械であったイレギュラーハンターはやがて人間を超えた存在として崇められるようになり、その頂点たるエックスは神にも等しいものとして受け入れられるようになった。そこからがゼロシリーズの領域である。
<進化を止めた人間たち>
終末的クーデター、いわゆる「イレギュラー戦争」によって多くの人間やレプリロイドが死んだ。人間もレプリロイドも数が減りすぎて、お互いを滅ぼして優位に立とうなどとはすでに誰も考えていない。エックスとゼロ、二人の英雄は自らが新たな争いの火種とならぬよう人々の前から姿を消し、残されたわずかなレプリロイドたちは二人の意志を継いで人間とレプリロイドの共存のために尽力することを誓う。
かくしてここに実質的な世界政府、”ネオ・アルカディア”が成立する。レプリロイドはついに政治の世界にまで進出し、人間を統治する側に回ったのである。
それはエックスの意志でもあり、他ならぬ人間たちが望んだことでもあった。人間たちはイレギュラーへの恐怖を振り払うイレギュラーハンターに頼るあまり、いつしかエックスを初めとする英雄的レプリロイドに依存するようになった。ちょうどイレギュラーたちが自分たちの理想の象徴としてシグマを信奉したように、イレギュラーハンターは人間たちにとってもはやただの警察や軍隊ではなく、信仰の対象となっていたのである。
ライトやワイリーの時代とは全く別の意味でロボットに頼るようになった人間たち、史上最大の戦争の後に訪れたロボットによる人間のための平和はたちまち彼らを堕落の道へと導いた。産業に始まり教育、行政、司法とあらゆることをロボットに任せきりにして安住をむさぼり続けた結果、人間たちは自分の頭で物事を考えるということをしなくなった。
そこに追い打ちをかけるように顕在化したのがエネルギー資源の枯渇問題である。
迫るエネルギー危機に対してネオ・アルカディアが取った行動は極めて単純かつ残酷なものだった。生産性が低く、燃費の悪い旧式のレプリロイドをイレギュラーと認定し、無差別的に廃棄したのである。元よりレプリロイドに全てを委ねている人間たちがコピーエックスに逆らい、我が身を犠牲にしてでもそれに反対するはずもなく、公然と虐殺が行われた。
こうしてネオ・アルカディアはかつてエックスが、ロックマンが、ライトが目指した理想郷にはほど遠い、醜くゆがんだディストピアへと姿を変えてゆく。その後世界がどのような運命を辿ったかはロックマンゼロの記事で詳しく書いたのでここでは省略する。
<最後のイレギュラーハンター>
イレギュラー戦争、妖精戦争、バイル事変など様々な困難を乗り越えた人類とレプリロイド、その関係は新たなステージへと移ろうとしていた。ここから先がゼクス、DASHの領域である。
これまでのロックマンシリーズは全て主人公がロボットだったが、ゼクスシリーズの主人公は人間である。これは人間がロボットと同様の能力を備えるようになったことを意味しており、逆にレプリロイドには人間と同じように寿命を設定するなど、両者の違いを無くしていく方向に技術が進歩していった。
ゼクスシリーズはいわばその過渡期を描いた作品であり、その流れの終着点がDASHシリーズである。
DASHの主人公、ロック・ヴォルナットを初め作中世界に登場するほぼ全ての人物はデコイと呼ばれる人造人間であり、人類最後の一人となった人物、”マスター”はデコイたちを新たな時代の人間と認め、彼が最も信頼を置いていた最後のイレギュラーハンター、粛正官ロックマン・トリッガーに最後の望みを託す。その内容は自分の死後に発動する「人類再生プログラム」、即ちデコイたちを全て廃棄し、データベース上に保存された遺伝子コードを元にかつての人類を再生する計画、それを破壊することだった。
人類が滅びの道を歩み始めてからすでに千年もの月日が流れ、最後の人類であるマスターは月面に作られた巨大コロニー「ヘブン」の外では生きられない体になっていた。人類再生のためにこれまで力を尽くしてきたマスターだったが、ヘブンから眺める地上の景色、デコイたちが様々な困難に晒されながらも懸命に生き抜くその姿を見続けて彼は考えを改めた。
滅びの道を進み、自分一人になってしまった人類を無理に再生するために彼らデコイを犠牲にするのは間違っている。彼らこそが新しい時代を生きる新人類である、そう考えたマスターは本来人類再生のための障害を排除するのが任務の粛正官、ロックマン・トリッガーに最後の望みを託し、その命を終えた。
トリッガーはマスターの意志を尊重し、自らイレギュラーとなってかつての仲間たちに戦いを挑んだ。戦いは熾烈を極め、システムに大きな損害を与えることには成功したものの、完全に破壊することはついに叶わなかった。
プログラムは一時凍結され、傷を負ったトリッガーは生き残るために自らのデータを端末に保存し、ボディをリセットして地球に逃れた。記憶をなくし、赤子の姿にまで回帰したトリッガーは保存端末と共に地上のデコイに拾われ、以降はロック・ヴォルナットとして生きることになる。そしてそこからがロックマンDASH本編の内容となる。
<まとめ>
ここまでの話を聞けば互いに全く関係ないように見えるロックマンシリーズが実はとてつもなく長い一本のストーリーを形成していることが理解できると思う。ライトとワイリー、二人の天才科学者に始まった「人間とロボットの共存」というテーマはX、ゼロシリーズを経てついに実現し、ゼクスシリーズで新たな解釈がなされ、DASHシリーズでついに新人類の創造という実を結ぶのである。
とはいえ各シリーズが全く異なるゲーム性を持っており、従ってその全てに手をつける人間はどうしても少なくなってしまうことは認めなければならない事実である。まして全シリーズを通して描かれるSFとしての魅力に気づく人間はさらに少ないだろう。
しかしながら、かつてのようにネームバリューに任せて新作を次々と作るようなことも出来ず、シリーズ全体の認知度が落ちている今だからこそ、シリーズを通して描かれる他にない魅力に着眼して意欲的な新作を発表するべきではないだろうか。過去の作品をやっていない人間もうっかり興味をもってこれまでの顛末をネットで調べてしまうようなアピール力十分な新作を出してこそ、真にシリーズの復興は成されるのではないだろうか。
言うまでもなく私はこのシリーズのファンである。だからこそ、次世代機向けに雪崩をうって発売された復刻版『ロックマン クラシックコレクション』やら『ロックマンXアニバーサリーコレクション』やらも購入するし、『ロックマンゼロ&ゼクス ダブルヒーローコレクション』とやらも恐らく買うだろう。
しかし、シリーズをこれからも続けていきたいならそれだけではいけない。これら『~コレクション』を買うのは今のままでは私のように「昔やったあのゲームの復刻だから」という層だけなのである。全くシリーズに興味がなかった人間が「なんとかコレクションを買ってでも昔の作品がやりたい」、そう思えるようなキャッチーな「今の作品」があってこそこれら『~コレクション』は真に輝く。
この記事を読んだ誰かが少しでもロックマンシリーズに興味を持ち、「やってみよう」と思ってくれたなら筆者にとってそれ以上の幸せはない。しかし、そんな人々を増やすのは私なんぞが書いた駄文などではなく、今の人々が心からやってみたいと思える新作なのである。ロックマンを作るカプコン社の方々はそのことがわかっていると思いたい。