ゲームをたしなむ人の何割かは確実にその手の人なのだろうが、筆者の友人にも海外産のゲーム、いわゆる”洋ゲー”のファンがいて、何度かその友人の誘いに乗ってその手の作品に手を出したこともあったのだが、そのほとんどは私の感覚に馴染むことなく棚の飾りとなっていった。
そのせいか、筆者はずいぶん長いこと海外産のゲームに苦手意識をもって避けていた。
しかし、そんな筆者が誰に勧められるでもなく自発的に、あるいは運命的に手に取った作品がある。
それこそが今回取り上げる作品、アメリカの奇才Toby Fox氏が2015年に世に放ち、後に日本語版がPS4、Switch向けに発売され話題を呼んだ海外RPGの新境地、ご存じ『Undertale』である。
<ストーリー重視のレトロ調RPG>
海外勢の主な持ち味と言えば伝統的にはFPS*1、最近では広大なマップを自由に歩き回れるオープンワールドなどが流行したが、Undertaleはそのどちらにも当てはまらない。
昔ながらのドット絵で描かれたキャラクターたちがちょこまかと動き回るノスタルジックな雰囲気はむしろそれらとは対極にあるといっていい。
ではこのゲームの持ち味とは何か。まず第一にそれはBGMだろう。
このゲームの作者Toby Fox氏はもともと作曲の分野で活動していたこともあり、作中で使用されるBGMはどれも個性豊かで印象に残るものばかりだ。検索すればいくらでも出てくるだろうが、ここにもいくつかURLを貼っておこう。よかったら記事を読みながらでも聴いてほしい。
Ruins : https://www.youtube.com/watch?v=QyPR77rg1to
Snowdin Town : https://www.youtube.com/watch?v=z6LmMCuGjfA
It's Raining Somewhere Else : https://www.youtube.com/watch?v=zNd4apsr3WE
そして何よりも秀逸なのは魅力的なキャラクターたちが織りなす壮大なストーリーであるが、この作品の魅力を説明するにはそれだけでは足りないものがある。
言ってみれば本作にはそれを何重にもプロテクトし、一目見ただけではそれと気づかせない様々なトリックが仕掛けられている。それこそがこの作品が世間を騒がせた最大の理由であり、奇作たる所以である。
<プレイヤーを手玉にとるトリック>
まずこのゲームは主人公の名前を入力するといきなりゲームが開始される。
主人公がどこから来た何者で、何をしようとしているのかなどは一切説明されない。
わかっているのは彼が禁域とされる山に踏み入った人間で、地底の世界へと繋がる大穴に落ちてここまで来たということだけ。それ以外は年齢や性別すら不明である。
名前を決定すると即座に右のような画面になり、操作が可能になる
初見のプレイヤーがわけもわからずとりあえず先に進むと、暗がりの中に一角だけ光が差し込み、その中に顔のついた黄色い花がいるのがわかる。
近づくしかないので仕方なく近づくと、花は突然気さくに話しかけてくる。
「ハロー! ボクはフラウィ。
おはなのフラウィさ!」
「キミは・・・ この地底の世界に落ちてきたばかりだね?」
「そっか じゃあさぞかし戸惑っているだろうね」
「それならボクが教えてあげよう」
「準備はいい? いくよ!」
するといきなり戦闘画面に切り替わる。白線の内側が赤いハートが自由に動き回れるスペースであり、プレイヤーの操作領域である。
しゃべる花、フラウィは続けてLVの説明を始める。
LVとは即ち「LOVE」のことであり、LVが上がるほど魂、即ちハートは強くなる。そしてこの世界ではLOVEを「なかよしカプセル」に詰めて贈り合うのが習わしであるという。
ここまでゲームに関する説明がほぼ皆無のまま進行してきたプレイヤーにとってフラウィの言葉は数少ない説明であるので、ついうっかり話を鵜呑みにしてしまう。これが最初のトリックである。
ハートがカプセルの一つに触れた瞬間、鈍いヒット音とともに残りHPが1になってしまう。フラウィの顔は先ほどまでとはうってかわって醜くゆがんだ猟奇的な笑顔に豹変する。
「バカだね」
「この世界では殺すか殺されるかだ」
「こんな絶好のチャンスを逃すわけないだろ!」
親切でフレッシュな仮面を完全に脱ぎ捨て、むき出しの悪意を晒して襲いかかるフラウィ。主人公を取り囲むように弾を配置し、狂ったように笑いながら徐々に包囲網を狭めていく。
プレイ開始から数分と経たないうちにいきなり絶体絶命の窮地に立たされた主人公、しかしそこに救いの手が差し伸べられる。
魔法の炎がフラウィを一蹴し、それを放った人物が入れ替わるように現れる。
それは全身ふわふわな毛で覆われた獣人の女性だった。
彼女の名はトリエル。
地下世界の入り口、「ホーム」の遺跡の管理人を名乗る女性である。
彼女は毎日遺跡の大穴の底を見回っては上の世界から落ちてきた人間がいないか確認しに来るのだという。
トリエルはとても親切で主人公の面倒を見てくれるのだが、やはりここでも何故そこまで親切なのかわからないままプレイヤーはゲームを進めなければならない。
しかし、彼女はフラウィとは違い決して主人公を裏切らない。
それどころか襲ってくるモンスターをにらみつけて追い払ったり、主人公のために遺跡の奥の自宅でパイを焼いてくれたりと、まるで母親のように主人公を守ってくれる。
遺跡の奥にあるトリエルの家は温かな雰囲気に包まれている
彼女は自宅に主人公のための部屋まで用意してくれる。
フラウィのこともあったので初めこそ多くのプレイヤーは彼女を信用するが、この辺りからもはや親切という域を超えている彼女の行動に、プレイヤーは次第に違和感を覚え始める。そこに早くも二つ目のトリックが潜んでいる。
トリエルは主人公を元いた場所に帰す気はないらしい
トリエルは本当の母親のように優しい。しかし、ここがどこで自分が誰で、主人公はこれから何をすべきなのか、彼女は何も語らない。得体の知れない優しさは時に不気味さを伴う。
主人公が家に帰りたいと言うと、彼女はおもむろにソファーから立ち上がり、用事があるのでここで待っているようにと主人公に言いつける。
後を追うと、地下室に繋がる階段を下りていく彼女の姿が見える。上の階の温かな空気とは裏腹に、地下の廊下は冷たく暗く、そこにたたずむトリエルの後ろ姿もそれまでの彼女とは雰囲気が違う。
この地下室には地底の世界のさらに奥へと繋がる扉があると彼女は言う。一度外に出たら二度と戻れないその扉を、彼女はこれから壊しに行くという。
「もう二度と 誰もここからいなくならないように」
「いい子だからお部屋に戻っていなさい。」
彼女の真意がわからない以上、プレイヤーはさらに彼女を追いかけるしかない。
すると彼女はこれまで主人公と同じように遺跡に迷い込んできた人間たちの話をする。
「ここに落ちた人間は皆 同じ運命をたどる・・・」
「ここへ来て・・・ ここを出て行って・・・」
「そして死んでしまう。」
遺跡の外にはモンスターたちの国があり、彼らを統べる王、アズゴアによってこれまでの人間たちは皆殺されてしまったという。トリエルは二度と再びそんなことが起きないように遺跡に迷い込んだ人間を保護しようとしていたのである。
トリエルは敵ではない。しかし主人公の目的が家に帰ることだとしたら、彼女の保護から抜け出す必要がある。そしてそのための手段を彼女はこれから破壊しようという。
結果として主人公はトリエルと戦わなくてはならないのである。
「どうしても出て行くというのね・・・」
「そう・・・ あなたも他の人間たちと同じなのね。」
「なら残る手段は一つしかない・・・」
「私を納得させてご覧なさい。」
プレイ時間にしてわずか三十分ほどの間に最も信頼のおける人物とのまさかの戦いにプレイヤーの多くは戸惑う。
実際筆者も戸惑った。どこかに分岐点があったのか、一体自分はどこで間違えてしまったのかとあれこれ考えたが、とにかく進むしかないと心を決めてトリエル戦に挑んだ。
しかし実を言うとこの時点でのルート分岐はない。というよりこの戦いをいかにして乗り切るかによって物語が分岐するといってもいいのだが、初見のプレイヤーは知るよしもない。
主人公についての情報がほとんどない中ただ一つ目的と呼べるものというと「家に帰る」ということだけ。そして目の前にはそれを阻むトリエル、この状況で戦わないという選択をとっさにできる人間などほとんどいないだろう。
<誰も傷つかないRPG(?)>
ところがこの戦い、ある方法を使うと戦わずしてやり過ごすことができる。
というかこのゲームのほぼ全ての戦闘は敵を倒すことなくやり過ごすことができる。それが本作の大きな特徴であり、誰が呼んだか「誰も傷つかないRPG」とさえいわれている。敵を倒して経験値を獲得し、レベルを上げてより強い敵との戦いに備えるというRPG界不動のルールに真っ向から逆らうスタイルは多くのプレイヤーを驚かせた。
そしてこの「敵を倒さずやり過ごす」というスタイルを最後まで貫き通すことができるか否かによって二周目以降のエンディングが変化する。それに伴ってストーリーも大きく変化し、一周目ではわからなかった各キャラクターの背景が詳しく描写される。登場人物は決して多くない本作だが、敵意むき出しで襲いかかってくるキャラが実は心優しい人物であることがわかったり、いい人に見えるキャラが実はとんでもない闇を抱えていたりと一人一人に重要な役割があり、作り込みが感じられる。
全てのキャラクターを救い、全ての謎が解けて迎えるベストエンディングは格別である。とてもこの場で全てを説明することはできないしする気もないが、この上ない大団円であることは間違いない。
しかし、そこで終わりならこのゲームがここまで有名になることはなかっただろう。
全てのキャラクターと戦わずに迎えるエンディングがあるなら当然その逆も考えられる。即ち全てのキャラクターを徹底的に殺し尽くすエンディングも本作には搭載されている。全ての謎が解けたのだからもういいじゃないかと思うかもしれないが、これまた二周目までは考慮されていなかった隠し設定がこのルートで明らかにされる。そしてそれはこのゲームが始まったときの最初の疑問に大きく関わっている。そもそも主人公はどこから来た何者なのか、という問いである。
<フリスクって誰?>
ベストエンディングが余りにハッピーな結末なのでプレイヤーは往々にして気にしないが、そのラスト付近でさりげなく明かされる新設定がある。それはこともあろうに主人公の名前である。ゲームの最初に名付けた「落ちた人間の名前」とは実は主人公の名前ではなかったということが明かされる。主人公の名はフリスク、最初にどんな名前をつけようが必ずフリスクである。
大団円を迎えた今、そんなことは些末なことだとほとんどの人は思うだろうが、実はこの設定こそが皆殺しルートの存在理由となっている。皆殺しルートとはつまるところ主人公の体の本来の持ち主であった「落ちた人間」による逆襲である。
ここで簡単に本作の設定を整理しよう。
かつて人間とモンスターは地上の世界に共存していた。しかし、モンスターが人間の魂を吸収することで圧倒的な力を手にするという特性が明らかになると人間たちはこれを恐れ、モンスターと人間の戦争が始まった。人間よりも体が脆いモンスターはほとんどがなすすべもなく殺され、生き残ったモンスターたちは地底の世界に追いやられた。人間たちは地上と地底を結ぶ道に巨大なバリアを張り、モンスターたちを地底の世界に封印した。それから長い年月が経ち、人間たちがモンスターの存在を忘れ去った頃、一人の人間が禁域の山イビト山に入り、地底の世界に落ちてきた。
この最初の人間こそがプレイヤーが最初に名付ける「落ちた人間」である。
最初の人間は国王アズゴアの息子アズリエルによって発見され、国王の下で育てられた。アズリエルともすぐ仲良くなり、一家は幸せな時を過ごした。しかし、やがて最初の人間はモンスターたちの悲しい歴史を知り、彼らを救うために自らの魂を捧げる決意をする。バリアを完全に破壊するには七人の人間の魂が必要であり、最初の人間の魂を吸収したアズリエルがバリアを抜け、残る六つの魂を手に入れる計画だったが、恐らくアズリエルの意志により計画は未遂に終わる。アズリエルは魂を奪うことなく地底に戻って力尽き、最初の人間の遺体はトリエルによって埋葬された。一方、アズゴアは地底に落ちてきた人間を捕らえて残る六つの魂を手にいれることを国民に誓う。
以上が本編開始までの大まかな流れである。
つまり最初の人間はモンスターたちを救うために行動を起こしたが、心優しいアズリエルは罪もない人間を殺して魂を奪うことをためらい、結果志半ばで倒れたということである。その遺体は主人公が最初に目覚めた場所に埋葬されたが、何らかの理由で再びその体に魂が宿った。それがフリスクである。
フリスクは最初の人間の体を使ってモンスターたちと打ち解け合い、見事誰も不幸にすることなく彼らを救ってみせた。モンスターたちは地底から解放され、再び人間とモンスターが共存する時代がやってくる。
しかし、そのことを祝福しない人物が一人だけいた。それが死してなおこの世に留まり続けた最初の人間、プレイヤーが名前をつけた「落ちた人間」である。
この「落ちた人間」という呼び方はダブルミーニングになっていると思われる。「地底に落ちてきた人間」という意味と「堕ちた人間」という意味である。というのも、主に二周目で明かされる事実だが、最初の人間は他の人間たちを強く憎んでおり、仲が良かったアズリエルをして「立派な人間ではなかったかもしれない」と言わしめているほどである。
これはあくまで推測だが、地底に閉じ込められたモンスターたちを救うため、というのもアズリエルを協力させるための方便に過ぎず、実際には自身の魂の力を得たアズリエルを利用して地上の人間を殺すことが目的だったのかもしれない。それぐらいのことをしてもおかしくないほどに皆殺しルートの主人公は残虐非道の限りをつくし、思わずプレイする手が止まるほどである。
ともあれ、最初の人間はフリスクが自分の体を乗っ取って成し遂げた偉業を認めず、強力な「ケツイの力*2」を使って時間を巻き戻し、フリスクとそれに関わる全てのモンスター、即ちこの世界そのものに対する逆襲を開始する。俺の体で俺よりリア充するなんて俺は認めない!
とても二周目と同じ主人公とは思えないほどこのルートの主人公は凶悪であり、人間とモンスターの間の圧倒的な実力差を見せつけるように殺戮を繰り返す。そしてこのルートはある種のメタフィクションとなっており、最初の人間はしばしばプレイヤー自身と同一視される。フリスクって誰だよ、という突っ込みからそれは始まる。これはある意味RPGというジャンルに対する皮肉と考えられる。せっかく大団円を迎えたのに「もう一つエンディングがあるから」というだけの理由で全てをひっくり返して台無しにするプレイヤーに対して登場人物が直接毒づくようなシーンもあり、ゲームをやり慣れた人ほどその衝撃は大きい。
フリスクが主人公の物語だと思って三周目をプレイするとただのプレイヤーへの当てつけでシナリオ上の意味はないように思えるが、元々の体の持ち主によるフリスクへの壮大な嫌がらせと考えるとこの虐殺ルートも説明が付く。これもこのゲームの数あるトリックのうちの重要な一つだが、暗黙の内に最初の人間はいい人であったかのように錯覚させられるが、そんなことのためにケツイの力を使うほどに最初の人間は嫌な奴なのである。
<まとめ>
Undertaleは様々な意味で画期的な作品だが、その中でも特に光る特長がそのプレイ時間の短さである。RPGといえばシナリオ完走まで30時間、40時間は当たり前、甚だしいと100時間はかかるものまであるが、このゲームのプレイ時間は三つのルートを全てやってもせいぜい14,5時間程度であり、普段ゲームをあまりやらない人でも気軽に楽しめる。
そしてその短さの割にストーリーの練り込みは目を見張るものがあり、一度プレイしたらその内容を忘れることはなかなかないだろう。強いて言うならクリア後の追加要素や収拾要素などのRPG的やりこみができないのがネックだが、そんなことは問題にならないほどどのルートも刺激に満ちている。是非とも他人の動画で満足せず自分の手で攻略していただきたい、そんな逸品である。
*1:一人称視点で進行するシューティングゲーム
*2:狭義にはセーブとロードを司り、時空を操ったり失った命を再び吹き込んだりとこの世界の理をねじ曲げる力で本来人間のみが持っている