あるゲーマーからの手紙

食う 寝る 遊ぶ、にんげんのぜんぶ

シリーズ世の中を考える 第一回”いじめ”

 私はいじめっ子ではない。

これは多くのことに自信がなく、アンケート用紙に「どちらとも言えない」とか「ときどき」とかいう選択肢が入っていると安易にそれを選んでしまうような筆者でも自信をもって言える数少ないことだ。

 ところがそれを家族や友人に言うと「よく言うぜ」とか「怪しいもんだ」などと返してくる。彼らに言わせれば私は「いじめっ子すらいじめたくなくなるような生粋のいじめっ子」なのだそうだ。

 私は自分をそこまで凶悪で手に負えない人間だと思ったことはないし、友人としょっちゅう喧嘩をするとか、小学生の時分に学級会議で容疑者としてつるし上げられるなんてこともなかった。

それでも私を「いじめっ子」だと思えるのには恐らく理由がある。

それも”いじめとは何か”という本質的な問いに関わってくる理由が・・・

 

 まず手始めに筆者がいじめっ子ではない理由を筆者の少年期のエピソードを通して整理してみよう。挙げていけば枚挙にいとまがないが、そのほとんどは書くにも読むにも値しないものばかりなので、ここでは中でも愉快な象徴的なものをいくつかピックアップする。

  1. クラスのみんなに省かれていた子を積極的に遊びに誘った(小)
  2. 部活でメンバーに省かれていた子と仲良くした(中)
  3. 保健室登校1名、不登校1名、不登校予備軍1名を抱えた6人班で修学旅行(中)

 うーむ、字面だけ見るとなんていい奴なんだろう。

などと言っている場合ではない。自惚れるのが目的ならこの記事はここで終わる。

1番と2番はどこが違うんだとお思いだろうが、詳しい説明は後に回してまずは一番について見ていこう。

 

 (1) vs. 一人でいたい子

 小学生時代になぜかずっと一人でいたり、図書室にこもっていたりする子に心当たりのある人は多いだろう。事実小学生時代の筆者も転校生であったため、人見知りをしてしばらくは図書室の世話になっていた。

 彼らの内の15%は本当に読書が大好きで、しかも読み始めたら止まらない、ハリーポッターやらダレン・シャンやらの長編小説をぺろりと読破しおかわりまで要求するそんな子たちだ。さらに20%は夏の日差しや冬の寒風に耐えかねて避難してきた腕白児童、2パーセントはそんな腕白児童たちに思いを寄せる青春予備軍女子であろう*1

 そしてそれ以外の全て(つまり感覚的には半数かそれ以上)が一緒に遊ぶ友達がいないか、もしくは断固として外で遊びたくないガチガチのインドア派の子たちだ。私がかつて遊びに誘った彼は間違いなくこのカテゴリだったであろう。

 これは大人の社会においても言えることだが、いじめられる者は周りにとっていじめやすいからいじめられるのである。その点で彼は類いまれなる素質をもっていた。

彼はよく泣いた。

未だ記憶に新しいあの会見を開いた元兵庫県議会議員のように。

強く、激しく、高らかに。

 子どもが泣くのは当たり前、と思ってくれるのは大人だけである。子どもの社会で泣きをいれ、あまつさえ大人の仲介の下で事を収めてもらうということは、彼がいじめのターゲットにされるに十分なきっかけであった。

 以来、小学生コミュニティの中での彼の立場はすっかり「おとなしいけどしゃべったことない子」から「みんなでちょっかいかけて嫌がらせしてもいい子」になってしまった。下級生にまで「すぐ泣く情けない年長者」というイメージが広まり、筆者が転校してくる頃にはすっかりいじめられっ子になっていた。

 そんな彼になぜ私は声をかけたのか、今となっては思い出せないが、大方友達の友達とかそんな程度のことだろう。とにかく私は彼に声をかけ、遊び仲間になろうとしたのだ。

 ところが彼の返答は意外にも攻撃的だった。

これも詳しくは憶えていないが「あっちいけ」だの「関係ないだろ」だのといった言葉を浴びせられた。それでも友人の手前何度か食い下がったが、当時の筆者は短気だった*2のでそう長くはもたなかった。つかみ合いの喧嘩になり、先生や友人が止めに入った。

 先生は「どうしてこんなことしたの」とか「二人とも謝りなさい」とか言っていたような気がしたが、私は上の空で、ただどこからかふつふつと湧いてくる謎の苛立ちについて考えていた。遊びを断られたことでも、無礼な言葉を浴びせられたことでも、ましてつかみ合ってここに連れてこられたことに対してでもない。

 やがて、先生の指示で形だけの和解の握手をしながら私は気づいた。

私の不満はただ一点、いつの間にか「私が彼をいじめようとした」という文脈で話が進んでいったという点である。

 私は彼に嫌がらせをするために話しかけたわけではなく、友達の友達として純粋に親睦を深めようとしただけなのである。しかしながら、周囲の大人はすでに先述のような彼の特性を知り尽くしているため、私もまたその特性を利用してちょっかいをかけてきた一人なのだと勝手に結論づけたのだ。

 周囲の大人が彼を守るためと称して「いじめられっ子」というレッテルを貼り、それに近づきトラブルを起こす者は全て「いじめっ子」とする、この単純きわまるメソッドによって救われるのはもちろん当事者である子どもではなく、余計な仕事を増やさずにすむ先生の方である。

  こうして私は不覚にも「いじめっ子」に分類されてしまった。

だが諦めるのはまだ早い。二番に希望を託そう。

 

 (2) vs. 一人が嫌な子

 一人なんて誰だって嫌だよ、とお思いだろう。筆者も同感だ。

人は一人では生きられない。それは人生を長く生きれば生きるほどひしひしと感じられる真理であるように思える。

 しかし、その一方で誰もが一度は見たことがあるのではないだろうか、「お前一日中その辺にいるなあ」「お前は俺から離れたら死ぬのか?」と言いたくなるほど、もしくは実際に言ってしまうほど、自分にぴったりくっついてくるアイツを。

 

 筆者が中学生のころに所属していた部活に嫌われ者がいた。

なぜ彼が嫌われていたのか、それをここで書き連ねることに意味はないので割愛するが、とにかく彼は同じスポーツで汗を流し切磋琢磨する仲間の一人として他のメンバーに認めてはもらえなかった。今思えば何もかも取るに足らない、子どもによくある謎のこだわりがもたらした衝突に過ぎなかったのだが。

 とにかく筆者は彼とは割合早くに打ち解けることができた。

相変わらず彼は周囲の人間から嫌われていたし、私自身もなぜあんなのに付き合うのかと聞かれた。だが、彼ら同じ部活の同期たちのいう彼の問題点など私にとってはどうでもよかった。

 

 問題は部活が終わった後、もしくは始まる前、

もっというと登校から下校までの間全てにあった。

 

彼はそれまで省かれていた反動か、私の行く先々に待ち伏せでもしているのでは、と疑ってしまいそうな頻度で私の前に現れた。体育などでペアを組めといわれたら、私が誰かに声をかけるよりも早くすでに私の隣に立っていたし、休み時間や放課後部活がない時にも必ず現れた。テストや模試などあろうものなら根掘り葉掘りその点数を聞いてきて、聞いてもいないのに自分の点数との比較を始めるのである。

 私は後悔した。「関わり合いにならなければよかった」本気でそう思った。

他の同級生たちが彼と接触することでもたらされるこういった結果を予見していたとは思えないが、彼らの陰湿な仲間はずれも陰口も、ある意味では理にかなった防衛行動といえるのかもしれない。

 結果として、筆者はその時彼の味方になってやることはできなかった。誠に遺憾ながらいじめっ子の言い分ももっともだと思ったからだ。彼らが陰口で言っていたのと同じ事を気づけば私は本人に直接言っていた。

 部の他のメンバーが思っても言わなかった数々の不平不満を本人にぶつけ、時には手が出たこともあった。それを見たクラスメートは、予てより評判の悪かった嫌われ者がついにただ一人の友人にも見放された、と大騒ぎし、勝手に私を陰口仲間の一員と見なした。

 やはりここでも私は”いじめっ子”となってしまったらしい。

 ・・・嫌な予感がするが三番も見てみよう

 

 (3) vs. 一人がいいけど一人が嫌な子

 もういい加減にしてくれ!という声が聞こえてきそうだが、せっかくだから書かせてもらおう。

何のことはない、修学旅行の班決めの時に風邪で休んでいたら、寝てる間に厄介者を全て詰め込んだ余り班の班長にさせられたのである。

班員には悪いがひょっとするとこれはいじめなのでは、私は今いじめられているのでは、と思った当時の筆者はその日のうちに場を仕切っていたであろう修学旅行の実行委員に詰め寄ろうとした。

 

 が、実際にはそれはかなわなかった。

詰め寄るまでもなく本人らが謝りに来たからだ。

 聞けば我がクラスの抱える問題は不登校者だけではないらしい。男子も女子もいちいち細かい派閥に分かれており、両者の折り合いをつけるのに苦労したという。苦労した挙げ句、その場にいなかった私に全てを丸投げしたということである。

 その時私は「謝る必要はない。来るか来ないかわからない、来たとしても扱いに困る問題児を好んで受け入れる者などいない。大事な時に欠席していた私の責任でもある」というようなことを言って彼らを許した。

 

 ところが、いざ修学旅行が始まってみると、あんなに簡単に許すべきではなかったと後悔した。ただ一人面識があり話せばわかりそうな保健室登校のS君はなぜか欠席(S君の立場を考えれば無理もないが)、不登校のT君と不登校予備軍のH君はこういうときに限って元気に現れた。

 それでも、滞りなくスケジュールをこなし、つつがなく全日程を終えられればまだよかったのだが、T君はとにかく集団行動が苦手で、ありとあらゆるルールやマナーを破りにかかって私を苦しめた。H君はルールやマナーこそ人並みだったが、常に空気の流れに逆らわなければ生きていけない体質の持ち主で、持ち前の嫌みや笑えないジョークは幾度となく私の精神を追い詰めた。

 一体彼らは何を思って修学旅行に参加しようなどと思ったのだろう。

一人が好きなら無理に一緒に来なくてもよかったはずだ。

それまで通りクラスメートや世間を見下し、一人部屋の中で悪巧みにでも興じていればよかったものを、何故わざわざ文句を言うためについてくる必要があったのか。今をもって謎である。

 ともあれ私のストレスがかつてないほどたまったこと以外に大きな事件もなく、修学旅行は無事に終わった。ところがここで終わればわざわざ”いじめ”という見出しの下にこのエピソードを書き連ねる理由はない。

 ある日、とうとうH君が本物の不登校になった。

問題は彼が不登校になる直前に残したいくつかの言葉だ。信憑性の高いものから悪質なゴシップまでいろいろとあったが、その中のひとつに「私がH君をわざと無視して仲間はずれにした」というものが含まれていた。

 後日、私は担任の先生に呼ばれ、事実関係を確認された。

確かに彼は私にとって愉快な人間ではなかったが、最低限の礼儀は払ったつもりであり、敵意や害意はなかった、ということを私は丁寧に説明した。

 問題児だらけの班を押しつけられただけでも十分に理不尽だったが、孤立した生徒が最後に接触したのが私だということと、本当かどうかもわからない噂を根拠に今度はいじめの容疑者扱いである。中学生の私が世の不条理を肌で感じた忘れられない出来事だ。

 

 と、ここまで筆者の思い出話に付き合ってくれた読者はすでに私の主張の趣旨を理解してくれていることと思う。そう、私は声を大にして言いたい・・・

 

    「いじめかどうかは被害者が決める」なんて許しませんよ

 

ということだ。

・・・断っておくが、だからいじめは悪くない、などと言う気はない。

全ての人間は自分に責任をもって生きており、自分で意図してやったことの結果とその責任は受け入れなければならない。それはいじめの被害者とて例外ではないということだ。

 誰だって邪険に扱われれば不愉快だし、喧嘩になれば怪我もする。よくない噂を耳にすれば心証も悪くなるし、一日中つきまとわれたら気持ちが悪い。普段から周りを見下して学校にもほとんど来ない者を、修学旅行の時だけ暖かく迎え入れる人間がどこの世界にいるだろう。

 これを読む人の中に自分は今いじめられていると感じている人がいたら、よく考えてみて欲しい。被害者を名乗る前にするべき事がまだあったのではなかろうか、と。

 

 そうして、かつての私は”消極的いじめっ子”をやめることを選んだ

 

 ちなみに、先述した例の内、T君、S君、H君以外とは筆者は現在でも交流がある。

くさい言葉だと自分でも思うが、筆者は彼らのような人々との交流を通して、人を信頼するということの持つ意味を学んだと思っている。人生ってのはわからんね

 

*1:小学生時代の筆者の証言なのであまり当てにしないように

*2:夏休みの宿題の植物観察日記は大体初日で書き上げていた