あるゲーマーからの手紙

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シリーズ世の中を考える 第三回”LGBT”

 2010年代もそろそろ終わりかというタイミングで彗星の如く現れ、全国のお茶の間を席巻した一大コンテンツといえばそう、皆さんご存じ「LGBT」である。

レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーに代表される彼ら「性的マイノリティ」たちが織りなす摩訶不思議な世界観に人々はたちまち魅了されていった。

 

 「生物多様性」という言葉が流行したこともあったが、それはもう過去の話。今や流行は「性の多様性」一色。「生物」などという広範で捉えがたいテーマは後回しにして、まずは自分たちの中の身近な問題から考えようという姿勢は妥当なように思える。なにせ日本でも全人口の8%がそれに該当すると主張する人もいるくらいであるから、そういう人たちを傷つけたり、無用な争いを招いたりするのを防ぐためにも、常日頃から考えておくのはいいことだろう。

 

 というわけで、筆者もこれまで出会ったLGBTと思しき人のことを思い出そうとしたのだが、実を言うとこれといった例を思い出せなかった。強いて言うなら全身ピンクのドレスで着飾った妙にメルヘンな中年男性を見かけたことなら三度ほどあるが、それだけで彼がLGBTだと決めつけてあれやこれや語るのは失礼な話だろう。

LGBTの人々は、周りの人に自分がLGBTであることを隠すため日夜努力しているらしいので、筆者が具体例を思いつかないのも道理かもしれない。

 

 仕方がないので生活の上での実践的な検討は置いておいて、「性の多様性」なるものが具体的にどれくらい多様なのかを考えてみよう。

まず見かけの性は二通り、ご存じ男性と女性である。これにLGBTのT、即ちトランスジェンダーの要素を加えると、「ノーマルの」または「Tの」「男性」または「女性」と考えれば、場合の数は四通りである。

そしてTであることとLまたはGであることは矛盾しないと考える、つまり「トランスジェンダーかつゲイの女性」とか「トランスジェンダーかつレズビアンの男性」という状況を肯定するならば、場合の数は8通りになる。

即ち一般的に男性と呼ばれるものは「男」「Gの男」「Tの男」「TでLの男」の四通りに分けられ、一般的に女性と呼ばれるものは「女」「Lの女」「Tの女」「TでGの女」の四通りに分けられる。

 そこにBの要素を加えるとさらに事態はやっかいになる。場合の数はさらに膨れて12通り、即ち先述のものに「Bの男」「TでBの男」「Bの女」「TでBの女」の四種が加わる。

 さらに、これらのような既製の性にあえて自身を当てはめない人々のことを最近ではQ、もとい「クィア」というらしい。そんな人々にとってこんな分類は何の意味もないのだろうが、この際一応考えておきたいのは、今あげた12通りの人々にさらに「自分がQだと思うか?」と問いかけたらどうなるのかということだ。

「TでLの男」が先の質問にYESと答えたらそれは「Qを名乗るTでLの男」になるのか、それとも単に「Qの男」なのか。前者なら場合の数は24通りにもなってしまう。後者でもさらに2通り追加で14通りである。

 

 つまり、考えられるだけで少なくとも世の中には14種類の性が存在するということらしい。これは今まで二つの性しかないと思って生きてきた筆者にとって衝撃の事実である。

 しかも先ほども言った通り、これらの性的マイノリティたちは自らのそういった性質を隠して生きている。これは大きな問題である。

 見た目でそうとわかる特徴が仮にあったとしても14種類もいるのだ。イヌイットの人が白という色を何通りにも分けて表現している傍ら、我々日本人はそれが単なる「白」にしか見えないのと同じで、ノーマルたる我々はその他12種の性の微妙な違いを見分けることなど不可能である。

 

 ここまで考えたら世間で話題になっている「LGBTカミングアウト」の重要性が少しはわかったような気がする。

即ちあるLGBTの男が「自分はTでBの男です」と周りに表明することはゴールではなくスタートなのである。GなのかBなのかTなのかQなのか、それがわからなければそもそも尊重のしようがない。そしてそれを周りの人間が自然に察することなど不可能だということは先述の通りである。

 

 隠し事をしながら生きていくのは辛い。それも誰にも言えない秘密を抱えて生きていくとなれば、それは並大抵の辛さではないはずだ。カミングアウトには勇気が要るだろうが、秘密を抱えて生き続ける意味はないし、そこに踏み込んで初めて彼らの権利は保障されうるものになる。

 トイレや浴場、女性専用車両などの利用の是非などの些末な問題は、まず彼らLGBTに重くのしかかる「秘密」という名の肩の荷を降ろしてからでも遅くはなかろう。我々ノーマルができることとは、つまりはそういうことではないだろうか。