前回はエルピスの過去についての話で終わった。
今回はそれを踏まえてレジスタンスを去った彼のその後の話から始めよう。
双子のベビーエルフを連れたエルピスはダークエルフの力を得るべくネオアルカディア潜入の準備を始める。レジスタンスは総力をあげて彼の足跡をたどり、ゼロも何度かエルピスと接触するのだが、どういうわけかネオアルカディア軍はエルピスをスルーし続け、そのせいでゼロは何度も彼を取り逃がしてしまう。
この通り、ダークエルフの半身が封印された遺跡にまんまと侵入されたり、四天王がエルピスそっちのけでゼロとの戦いを始め、その隙にオリジナルエックスの眠る区画のパスコードを盗まれたりと、エルピスがレジスタンスを離れたとたん急に無能集団と化すネオアルカディア陣営。
このシーンはエルピスが墜落した先述の爆撃機から敵味方識別装置を持ち去った直後のシーンであり、ハルピュイアはそれを目撃している。
にも関わらずエルピスを追うどころか何もしていないゼロに戦いを挑んでくる。
このミッションはエルピスが爆撃機の墜落現場近くの洞窟に入っていったという情報をもとにレジスタンスが捜索に向かったところにゼロが応援に駆けつけたというシチュエーションであり、ゼロはエルピスを追う以外のことは本当に何もしていない。
爆撃機の残骸をレジスタンスに解析されるとまずい、また無効化した特殊爆弾を回収されて再利用されるとまずいというのならわかるが、ハルピュイアが現れたのは爆撃機からそこそこ離れた平地であり、ゼロはもう爆撃機を通り過ぎている。
極めつけが戦闘終了後のこのセリフである。
そう、彼はここに仕事をしに来たのではない。
精神の安定のためにゼロに会いにきたのだ。
とんでもない職務怠慢のように見えるが、ここで少し時間を巻き戻して正義の一撃作戦が惨敗に終わった直後のシーンを見てみよう。
「ゼロ・・、俺はレジスタンスを倒すことが正義だと思っていない。
だがな・・人間にだけは手を出させるわけにはいかんのだ」
このシーンにハルピュイアの本音と建て前が表れていると筆者は思う。
彼は立場上レジスタンスの存在を認めるわけにはいかないが、一方で自身の指導するレプリロイドの大量処分という政策が社会に与える影響も知り尽くしている。
無実のレプリロイドを処分しようとすればそれに抗おうとする勢力が生まれるのは自然なことであり、その発生自体を止めることはできない。故に彼はそんなレジスタンスたちをそれほど悪く思っておらず、ネオアルカディアの外で生き残ることがあるならそれも構わないとすら思っている。
しかし、ネオアルカディアの力は圧倒的で、ひと度その庇護から外れ、イレギュラーと認定されればその者に待っているのは確実な死のみ。知を司る四天王としてハルピュイアは誰よりもその事実を実感していたことだろう。レジスタンスは彼の意志に関係なくいずれ全滅する運命と割り切り、彼は自分の役割を果たしていた。
そう、ゼロが目覚め、コピーエックスを破壊するまでは。
レジスタンスたちがゼロを目覚めさせ、そのゼロがネオアルカディアの長を倒した。
それは彼にとって、ただ死を待つばかりの存在だと思っていたレジスタンスたちにこの世界を変える力がわずかばかりでもあるということが証明された瞬間であった。
その時から彼にとってレジスタンスは、いずれ滅びる取るに足らない”障害”ではなく、生存権をかけて争う”対等な敵”になったのである。
そこには正義も悪もなく、権威やそれに対する隷属もない。何のしがらみもなくそれぞれの正義を対等にぶつけ合える世界。それこそが彼の求めていたものなのかもしれない。
そう考えれば冒頭のシーンで彼がゼロを助けたことにも納得がいくし、ハルピュイアというキャラはなかなかに面白いと筆者は思うが、それでもやはり彼はエルピスを追うべきだったと言わざるをえない。なぜなら彼ら四天王がエルピスを野放しにしていたことでゼロシリーズ最大の事件が起こってしまうのである。
パスコードを手に入れ、転送装置を奪い、諸々の準備を整えたエルピスは満を持してネオアルカディアのダークエルフが眠る部屋に向かう。ゼロに捨て台詞を残して。
エックスも彼を止めようと尽力するが、二体のベビーエルフに守られたエルピスを倒すほどの力はすでに残されていなかった。ダークエルフの半身が解放され、エルピスがエックスのいる部屋に辿り着くのも時間の問題である。
ゼロは急ぎエルピスを追うが、
なぜかここで再び立ちはだかる四天王ファーブニルとレヴィアタン。
しかも二人ともこのときしか見せない第二形態を披露する力の入れっぷり。
もうおわかりだろうが、ネオアルカディアは四天王を含め端からエルピスをなめきっている。本来なら四天王はベビーエルフに守られたエルピスが敵味方識別装置を手に入れた時点でどんな手を使ってでも彼を止めるべきだった。
ところが、戦闘狂のファーブニルや公私混同も甚だしいレヴィアタンは終始エルピスを無視してゼロとの決着にこだわり、ネオアルカディアのブレーンであるはずのハルピュイアすらエルピスの力を見誤り、手遅れになるまで放置した。
その結果がこの様である。
かろうじてハルピュイアはこの時点でエルピスの脅威性を認識し、彼を追いかけるところまではよかったが時すでに遅し、エルピスはすでに彼を凌駕する力を得ていた。
エルピスはベビーエルフの力を使ってハルピュイアを操り、ゼロと戦わせる。
(元々ゼロとの再戦を望んでいたのでわかりにくいだけで、他の二人も実はベビーエルフに精神をいじられていた可能性はある。)
同じ要領で洗脳されたネオアルカディア軍のレプリロイドたちがゼロの行く手を阻む。個性が失われ、口々に同じ事を言って襲ってくる様はなかなかに不気味である。
ゼロが彼らの相手をしている間にエルピスはついにオリジナルエックスのもとにたどり着き、ゼロの目の前でついにそれは成し遂げられてしまう。
前作主人公の殺害という大罪を犯した彼が多くのプレイヤーを敵に回したことは言うまでもない。ある意味でラスボス戦直前の演出としてこれほどプレイヤーを熱くするものはない。
エックスという最後の枷が破壊され、完全に目覚めたダークエルフの力を受けたエルピスはその力と心にふさわしい禍々しい姿へと変態を遂げる。
しかし、結局エルピスはダークエルフの力を使いこなせない。考えてみればもともと戦闘用のレプリロイドでもなく、サイバーエルフに関する知識も無い彼にいきなり最強のエルフを使ってゼロと戦い、勝つことなど出来ようはずもない。
さらなる力を求めてダークエルフに訴えるエルピス。
その姿はさらに禍々しく変態し、もはや見る影もない。
余談だがこのエルピスの第二形態、びっくりするほど隙だらけである。前作のコピーエックス第二形態を乗り越えたプレイヤーであればまず苦戦することはない。この弱さもまた、エルピスが強大すぎる力をもてあまし、ダークエルフに翻弄される様を表しているようである。
ともかくゼロはエルピスを倒し、ダークエルフと二匹のベビーエルフを解放する。
エルピスはすっかり邪気が祓われたような顔になり、自分を止めてくれたゼロに感謝を表する。思えば例の遺跡に入った時点で、ベビーエルフの母を呼ぶ声にあてられて彼はすでに正気を失っていたのかもしれない。母を求めるベビーエルフと力を求めるエルピス、両者が出会ったときから悲劇は始まっていたのかもしれない。
ダークエルフはそんな彼を慰めるように一瞬温かな光を取り戻し、彼をサイバーエルフとして生まれ変わらせる。彼はゼロに礼を言ってどこかに飛び去り、ダークエルフもまた、ゼロとの名残を惜しむようにゆっくりと飛び去っていく。ゼロは自らの失われた記憶を彼女の面影に重ね、去って行く彼女を見送る。
「俺は、アイツのこと知っていた気が・・する。」
「ダークエルフ・・・・・・か・・・」
以上がロックマンゼロ2の内容である。
ストーリーや音楽、背景美術など明らかに一作目よりクオリティが上がっている。
ゲームとしては相変わらず難易度は高いが、慣れた後の爽快感は一作目を凌駕するものがあると個人的には思う。
一作目のエンディングテーマ『Area of zero』の重厚感あふれる雰囲気とは対照的に、二作目のエンディング『Awakening Will』は、険しくもも美しい今作の世界とそこに住む人々を物語るような透明感のあるサウンドに仕上がっている。
Mega Man Zero OST - T25: Area of Zero / Main Theme of Zero (Credits Theme)
『Awakening Will』のボーカルアレンジ『Clover』もおすすめなので是非聞いてみてほしい。
一作目では生き残るのに精一杯のレジスタンスに伝説の英雄が加勢し、既存の権威が打ち倒されるまでを描いていたが、続編の今作では権威たるエックスなき世界でなお続けられる戦いの日々と、その中でこそ解放される弱き者の抑圧された憎しみを、エルピスというキャラクターにのせて描いている。
前作ではエックスの部下程度の扱いであった四天王にも、体制の疲弊という、エルピスにとってのつけいる隙となるものの現れという役割が与えられており、それぞれのキャラクターが引き立っている。
余談だが、レヴィアタンの第二形態はエイをモチーフにしており、彼女の回転しながらの体当たり攻撃がエイの求愛行動、及び交尾の様子に似ているという指摘もある。
筆者はエイの生態に詳しいわけではないのでその指摘が的を得ているかの判断はしかねるが、同じゼロとの決着を望む二人でもファーブニルとレヴィアタンではゼロとの距離感が異なるという点には同意する。
そうでなければ戦闘終了後にこんなことは言わないはずだ。
「ハァ、ハァ・・私は、どんどん愚かな女になっていく・・」
「あなたと戦うこと以外・・考えられなくなっていく・・」
「でも、幸せよ」
「あなたをいつか・・この手で、引き裂くことを夢見ながら・・」
「しばらくは、生きていくとするわ」
「じゃ・・また・・ね」
とてもゲームボーイアドバンス向けソフトのセリフとは思えない色っぽさを含んだセリフ回しである。こういう細かいセリフの作り込みこそがゲーム作りを仕事にする人々のこだわるべきところではないだろうか。
このレヴィアタンを含め、2のボスキャラクターのデザインはシリーズでもトップクラスに美しいと筆者は思う。中でも不死鳥をモデルにしたフェニック・マグマ二オンの登場シーンなどは中ボスにしておくのが惜しいほど洗練されている。
まばゆい光球が上空を旋回し やがてゆっくりと停止
光球の中心から大きく翼を広げ炎上 そのまま柔らかく降下し対峙する
「今時2Dアクションなんて流行らない」とか「演出も子どもだましで退屈」とかいう意見を持つ人をたまに見かけるが、それは大きな勘違いであるとこのゲームをやっていると思える。
2Dにも3Dにもそれぞれの良さがあり、2Dでできることが全てそのまま3Dでも再現できるという考えは誤りである。もちろんその逆も然りだ。
受け手である我々にとって大切なのは、2Dアクション特有の表現をプレイの中で少しずつ学び取っていき、そのシーンに含まれたエッセンスを余すところなく享受することであると筆者は思う。
願わくば2Dアクションに否定的な人々が本記事を読むことで、あるいは本作をプレイすることで2Dの魅力にほんの少しでも惹かれるところがあれば、筆者にとってこれ以上の幸いはない。
どうにも雰囲気が説教くさくなってきたので本日はこのくらいにしておこう。
それでは各々方ごきげんよう